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建造物

この建物は、明治20年(1887)皇宮警察署庁舎として着工されたものですが、工事中に用途が変更され、宮城の守護と儀仗に当たる近衛局(明治22年に近衛師団と改称)の本部となったもの。付属舎であるこの建物は、その右側にあるに2階建て本館と湯沸所兼渡り廊下でつながっていました。皇居内の隣接する宮内庁庁舎は、ジョサイア・コンドル(1852-1902)の設計によるものですが、この近衛局に関しては設計者は明らかになっていません。明治44年(1911)に師団本部が移転したため、皇宮警察本部がここに移り、坂下護衛署として使用されました。
建物は木造平家建ての瓦葺きで、内と外の壁は白漆喰で塗られています。基壇は石造で、アーケード式のベランダが軽快な印象を与えます。

近衛局本部付属舎

建造物

長野県木曽郡大桑村須原の中山道沿いに建てられた医院。建設年は明らかになっていませんが、移築解体時には紙張り天井の下張りから明治36年(1903)11月1日付けの新聞が発見されたため、それ以降の年と考えられています。
大桑村須原は木曽路の中ほど、妻籠(つまご)と木曽福島の中間に位置し、木曽ヒノキの伐りだしを生業とした町です。この須原に生まれた清水半次郎(1868-1951)は、東京に出て西洋医学を学び、地元の木曽谷に戻って医院を開業しました。
軒が漆喰で塗り籠められ伝統的な土蔵造にも見えますが、アーチ形の入口や窓、隅柱など洋風意匠を組み合わせていて、宿場町須原にあって目を引いたことでしょう。

清水医院

重要文化財 / 建造物

明治23年(1890)に東京-横浜間で始まった電話交換業務が北海道で行われるようになったのは、同33年(1900)のこと。これにあわせて、高価な交換機を火災から守るために地元産のを石材を用いて建てられました。内部の床や間仕切り壁、小屋組は木造です。1階と2階の窓を違った形式で作り、2階の窓下に花紋を連続させた胴蛇腹をまわす手法は、ルネッサンス以降の西欧でよく見られるものです。
明治36年(1903)の官制改正により、電話交換局は郵便電信局に併合され、規模の拡大にともなって明治43年(1910)に増築され、その後は札幌中央郵便局として使用されました。

札幌電話交換局

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