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常設展示 / Pick Up!

明治38年(1905)、日露戦争を終結させるポーツマス条約が締結された際に使用されていたテーブルを帝国ホテル2階で展示しています。教科書などで載っているポーツマス条約調印の写真やスケッチに登場するのがこのテーブルです。
このテーブルをはさんで、当時の外相・小村寿太郎とロシアのセルゲイ・ウィッテが激しく意見を戦わせました。

ポーツマス条約の机

建造物

北里研究所はドイツでロベルト・コッホに師事し、細菌学を研究した北里柴三郎博士が伝染病の研究所として創立したものです。
この建物は、博士自身が学んだ研究所にならい、ドイツ・バロック風を基調とし、腰折れ屋根やドーマー窓が特徴です。細部には幾何学をモティーフとした意匠も見られ、新しい時代のデザインの影響も見え隠れします。
顕微鏡による観察を良好な条件で行えるよう、光の変化が少ない北に面して部屋が設けられていました。

北里研究所本館・医学館

建造物

明治の文豪である森鷗外と夏目漱石が、奇しくも相次いで借家した和風住宅。明治20年(1887)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたものの、空家のままだったこの家は、明治23年(1890)に森鷗外が借家し1年余りを過ごしました。鷗外は、ここに移り住む同年の1月、処女作小説『舞姫』を発表。この家では『文づかひ』等の小説を執筆し、文壇に入っていきました。
明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が住み、漱石はここで『吾輩は猫である』を発表。文壇にその名を高めました。文中に描写された家の様子は、よくこの家の姿を写しています。
玄関脇の張り出した和室(応接兼書斎)、台所から座敷への中廊下には、住宅の近代化の萌芽が見られます。

森鷗外・夏目漱石住宅

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