• メイジノオト
  • 学芸員出張レポ~博物館網走監獄へ行ってきました~

学芸員出張レポ~博物館網走監獄へ行ってきました~

CATEGORY:
イベント・おでかけ情報 おでかけ 建築 歴史

2022/06/20

学芸員出張レポ~博物館網走監獄へ行ってきました~

明治村学芸員

記者

明治村学芸員

明治村学芸員が今関心のある場所へ旅する企画。

初回はなんと!念願だった北海道の「博物館網走監獄」へ行ってきました!

(写真提供;博物館網走監獄)

博物館網走監獄は、1983(昭和58)年に北海道網走市に開館した野外博物館です。

 

1890(明治23)年に釧路集治監の外役所(網走囚徒外役所)として開設された網走監獄の約20件の建造物を移築、もしくは復元し公開しています。そのうち8件が重要文化財の指定を受け、6件が登録有形文化財に登録されています。

明治村にも、金沢監獄と前橋監獄雑居房という2つの行刑建築が移築されています。

(詳しくはこちらをご覧ください:金沢監獄中央看守所・監房 金沢監獄正門 前橋監獄雑居房)

かねてより監獄に興味津津だったので、かの有名な網走監獄は一度は訪れてみたかった博物館です。

今回は、副館長の今野久代さんに館内をご案内いただき、詳しくお話しを伺いましたのでレポートしていきます。

 

重罪犯の流刑地?最強の監獄?

博物館網走監獄の正門。赤レンガにはえる黒い煉瓦は、釜に塩を入れ、塩が分解する1,160度以上の高温で焼き上げて仕上げている。

 

—私は網走に来たのは初めてです!本日はどうぞよろしくお願いします。網走監獄といえば、重罪犯や思想犯といった一癖?ある囚人たちを収監するイメージがあるのですが、実際にはどうだったのですか?

今野副館長:映画や漫画からそういったイメージを持たれる方が多いですね。イメージは正しい部分もありますが実際は必ずしもそうではありません。

—明治政府に「反抗」した人々や、西南戦争で敗れ「国賊」となった人たちが北海道に送られたというのはよく聞きます。

今野副館長:確かにそうです。当時、ロシアの南下政策に備えるために北海道の開拓を急ぐ必要があり、開拓の労働力として考えられたのが国内で増え続けた囚人です。西南戦争などで明治10年代から増え続けた囚人の過剰拘禁を解消するため、北海道に集治監を設置し、北海道開拓にあたらせたのです。

西南戦争を描いた「明治初期叛乱錦絵帖 鹿児島征討図」早川松山/小林銑次郎版 (博物館明治村所蔵)

 

—網走監獄にもそうした中央から集められた重罪犯を収監したのですか?

今野副館長:いいえ。北海道ではまず、明治14年月形町に樺戸集治監、明治15年三笠市に空知集治監、明治18年標茶町に釧路集治監ができましたのでそうした重罪犯は主に樺戸集治監に収監したのです。網走監獄の前身である網走囚徒外役所が明治23年設立なので、重罪犯を収監した時期からは実はずれています。

—その事実は意外でした!「最強、最恐の監獄」説はメディアの影響が大いにあるということですね。

今野副館長:網走監獄はもともと外役労働による開拓のために設立されており、設立当初は網走から旭川までつながる中央道路の開削に囚人たちを使役しています。211人の死者を出しましたが、全長163㎞にも及ぶ工事をわずか8か月という期間で完成させています。

—かなりの突貫工事ですね。

今野副館長:そうなんです。当時は、囚人を使えば賃金も安く済み、万が一工事で死者が出たとしても囚人が減ってかえって良いという考えがあったのです。また、刑期を終えた囚人が人口希薄な北海道に住み着いてくれたら、と一挙両得だというわけです。

—当初の刑務作業はやはり苦役の記憶なのですね。

 

「監獄歴史館」

博物館網走監獄では、北海道開拓、網走監獄の歴史を紹介する展示施設「監獄歴史館」があります。なかでも、体感シアター「赫(あか)い囚徒の森」は中央道路開削の様子を臨場感たっぷりに伝えます。博物館網走監獄に来館した際には、ぜひご覧ください。

体感シアター「赫(あか)い囚徒の森」

「監獄歴史館」では当時の囚人の暮らしや作業とともに、北海道開拓の明暗の歴史を学ぶことができます。

 

日本一過酷な刑務作業?

—網走監獄には設立当初の苦役の記憶があるとのことですが、その後の網走刑務所となっていく中で何か変化はあったのですか?

今野副館長:意外にもその後の網走監獄では比較的刑の軽い人が収監されているのですよ。広大な敷地を利用して農場を造り、処遇として農作業、肉や乳牛生産のための豚、牛の飼育を囚人が行っていました。

—刑務作業は、逃走防止のため鎖に繋がれたり、足に重りをつけたりしているのかと思いましたが…。

今野副館長:野外での作業ができる人というのはやはり刑が軽かったり、模範囚だったりします。網走監獄では比較的監視の目もゆるやかでした。

 

明治五大監獄と網走監獄

 

博物館網走監獄で見どころの一つに「舎房及び中央見張所」があります。

明治村に移築された金沢監獄と同型で、5棟の舎房が放射状に延びており中心には見張所が設けられ、舎房の隅々まで見渡すことができ、この形で現存する唯一の木造刑務所施設として重要文化財に指定されています。

舎房及び中央見張所の外観。金沢監獄とは全く異なります。

 

—金沢監獄は「明治五大監獄」の一つで、司法省技師山下啓次郎が設計したものです。網走監獄の設計者も同じく山下啓次郎なのですか?

今野副館長:いいえ、山下ではなく、山下の次の世代の司法技師たちが設計しました。

—金沢監獄は網走監獄の先輩にあたるということですね。
網走監獄は基本的には五大監獄と同じ構造を踏襲していますが、今回見学してみて監房の格子の構造などが工夫されており、金沢監獄には見られない特徴もあり、とても興味深かったです。

網走監獄の「斜め格子」。廊下側から部屋を見ることはできるが、(囚人たちが良からぬことを企てないよう)向かい側の部屋は互いには見えないようになっている。

 

—明治村の金沢監獄は独居房の舎房のみ移築されていますが、博物館網走監獄には独居房と雑居房の舎房も遺っていますね。近代的な監獄の建設が進められた当時は、囚人一人に独居房が与えられるのが理想という考えがあったと思うですが、網走監獄は独居房よりも雑居房の方が数は多いですよね。

今野副館長:当時はそうした考えもありましたが、社会性を養う雑居房が重視されるようになり、雑居房の方が主流になっていきました。独居房には集団で生活するのに問題がある人やいわゆる「思想犯」が入れられましたが、ずっと独居房のままというわけではなく、適性を見て雑居房に移ることもありました。

—ちなみに独居房か雑居房かどちらに入るのかは誰がどのように決めるのでしょうか?

 

今野副館長:各監獄の担当看守が決めました。囚人が移送されて、まずは一週間ほど独立型独居房に入れて担当看守がその人の性格を見極め、処遇を決めたのです。独居房で一人で作業する場合もあり、便箋や封筒、マッチの軸を作ったりしました。雑居房の場合は、工場や農場でグループになってともに働きました。

 

博物館網走監獄企画展開催中!

—博物館網走監獄では、現在、山下啓次郎を取り上げた企画展を開催中ですね。

今野副館長:はい、今年が開館40周年にあたるので、五大監獄と設計者・山下啓次郎について紹介しています。日本における行刑思想の変化やそれに伴って監獄建築がどのように対応してきたのかなどをこの機会に知っていただきたいと思っています。

—明治村からも金沢監獄の設計図面や関連文書を出品させていただきます。明治村の資料をどうぞよろしくお願いします!
金沢監獄と網走監獄、これだけ距離が離れていると比較するのが難しいですが、展示を通して類似点や違いなど新たな発見があるといいなあと思っています。
今野さん、本日はお忙しいところ貴重なお話しをいただきありがとうございました!

 

企画展は博物館網走監獄にて絶賛開催中です。

詳細は下記の通り。

博物館網走監獄 2022年企画展「近代監獄の誕生と山下啓次郎」
期間:2022年8月30日まで
会場:監獄歴史館1階

INFORMATION

博物館網走監獄

所在地

〒 099-2421 北海道網走市字呼人1-1

営業時間

9:00 - 17:00 ※ 季節により変動する場合あり。最終入館は閉館の1時間前

定休日

12/31・1/1

電話番号

0152-45-2411

料金

一般 大人 1,500円 高校生 1,000円 小・中学生 750円 団体(20人以上) 20名様以上 2割引

公式サイトURL

https://www.kangoku.jp/

Writer

明治村学芸員

記者

明治村学芸員