帰雁来燕(下)

CATEGORY:
明治時代の文化 歴史

2026/04/11

帰雁来燕(下)

明治村学芸員

記者

明治村学芸員

二十四節気にそえて 5

 

 

<清明> 万物に清新の気がみなぎる時節(岩波国語辞典)

 

清浄明潔(せいじょうめいけつ)」の略で、空は青く澄み渡り、風が爽やかで、自然界が活き活きしている様子とされ、 初候が前回ご紹介した「玄鳥至」、次候が今日ご紹介する「鴻雁北(こうがんかえる)」、末候が「虹始見」です。

 

<「帰雁」と天井画に描かれた雁>

「帰雁」は七十二候の「鴻雁北」にあたります。「鴻」「雁」はともに雁を表し、「鴻」は大きな雁、「雁」は小さな雁を指します。「北」は文字通り方角の北を表すだけでなく、「北へ行く」という意味も持ちます。すなわち、秋に北から日本へ渡ってきた雁が、春になると再び北へ帰っていく様子を表しています。
5号御料車の天井画のもう一方の「来燕」同様、写実的に空を飛ぶ雁の姿が描かれています。

 

<川端玉章と当時の美術の流れ>

描いたのは画家・川端玉章。帝室技芸員にも列せられた日本画家です。帝室技芸員制度は明治23(1890)年に定められ、当初は10名が任命されました。その中には、5号御料車の御座所両脇の部屋の天井画を手がけた橋本雅邦も名を連ねています。川端玉章が任命されたのはその6年後のことです。
帝室技芸員制度は、伝統画法を重んじる旧派の働きかけによって成立したといわれています。一方で、フェノロサや岡倉天心が中心となって創立した東京美術学校に関わる橋本雅邦と川端玉章が御料車の装飾事業に携わったことは、たいへん興味深い点です。
川端玉章が、西洋絵画の技法を取り入れて描いた雁が北へ帰る姿は、御料車でご移動なさる昭憲皇太后の目に、新鮮に映ったであろうことは想像に難くありません。


出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

 

 

<なぜ「帰雁」と「来燕」が選ばれたのか>

この文章を書きながら、ふと気づいたことがあります。なぜ、この皇后用車両の御座所に「帰雁」「来燕」という画題が選ばれたのでしょうか。この点については、いまだ明らかになっていません。しかし、その理由は昭憲皇太后の誕生日に関係している可能性があるのではないでしょうか。
昭憲皇太后の誕生日は、新暦では1849年5月28日、和暦では嘉永2年4月7日で、ちょうど清明の節気(4月5日頃から20日頃)にあたります(奇しくも、お亡くなりになったのは1914年〈大正3年〉4月9日で、こちらも清明の時期です)。つまり、この天井画は昭憲皇太后に祝意を表す画題であった可能性も考えられるのではないでしょうか。

 

 

<雁が教えてくれる季節の感じ方>

余談ですが、少し前に自宅で20世紀末の中国映画「初恋の来た道」を観ました。その中で、「春が来て、……牛は田を耕し、雁が帰って来て、蛙が冬眠から醒める」と語られる場面があります。
日本では雁が帰ることが春の訪れとされますが、中国では雁がやって来る(戻って来る)ことが春の訪れとされる点が興味深く感じられました。気候の異なる地域によって、「自然」の捉え方にも違いがあるのでしょう。
そして、自然の移り変わりに意識を向けながら日々を暮らすことは、古来より東西を問わず人々が行ってきた営みであるように思われます。しかし、都市化が進み、地方色や自然が失われがちな現代において、私たちは自然に耳を傾けることを、いつの間にか忘れてしまっているのかもしれません。現代に生きる私たちも、あらためて自然に耳を傾けてみるとよいのではないでしょうか。

 

 

 

INFORMATION

Writer

明治村学芸員

記者

明治村学芸員

PICK UP

イマ注目の記事