記者
明治村学芸員
2026/08/12
記者
明治村学芸員
二十四節気にそえて 13
<夏の部屋の主役、暖炉衝立(ファイアースクリーン)>
2026年7月25日から9月6日まで、明治村内の千早赤阪小学校講堂において「『夏』だって暖炉は部屋の華!」というミニ展示を行っています。なぜこの展示を行なうことにしたのか…。

明治村の所蔵品には旧東宮御所(現 迎賓館赤坂離宮)で使用された暖炉の鉄製の内枠(ファイアープレイス・インサート)がいくつかあり、そして用いられた場所はわからないものの暖炉前に置かれただろう小ぶりな衝立もいくつかあります。
では、暖炉と暖炉衝立を一緒に展示するのにふさわしいのはいつか? 暖炉に火を入れない時期に炉の部分を隠すのが「暖炉衝立(ファイアースクリーン)」です。だから一緒に展示ができるのは「夏」なのです。
<3つの暖炉衝立>

左 暖炉衝立 木象嵌 表 中 暖炉衝立 木象嵌 裏 右 暖炉衝立 綴れ織り
今回展示しているのは3点の暖炉衝立です。先ほど記したように、明確な使用場所はわかっていませんが、うち2点は明治村開村当時に宮内庁から受け入れたもの、残る1点は1980年代に個人の方からご寄贈を受けたものです。
宮内庁から受け入れたもののうち1点は木製で両面仕様で、一面は木象嵌でススキに虫、もう一面は様々な樹種の木を寄木細工のように施したものです。もう一点は和服の帯に用いられる「綴れ織り」のものです。
1980年代に受け入れたものは、大胆な刺繍が施されたものです。刺繍=手仕事と思いがちなのですが、なんとこの刺繡の暖炉衝立は、ミシン刺繍の作品見本として製作されたという経緯がわかりました。刺繍といえば、手で行なうことだと思い込んでいたので、大いに驚きました。
<ミシンといえば、洋服?>
この衝立は大正初め(1915年前後)に製作されたと考えられ、資料カードによるとシンガーミシン15種30形、15種46形を使用して製作したとあります。シンガーミシンといえば、全世界で3000万台ほど製造され、世界各地で販売されています。

現在、家庭では小物や洋服を縫製するのに用いられるミシンですが、ミシンが日本へもたらされた頃は少し様子が異なったようです。
ミシンは幕末にペリー艦隊から、時の将軍に献上されています。その後、家庭用としてではなく、一気に西洋化した軍服や礼服の縫製、そして靴の製造などにミシンは使用されるようになります。
シンガーが横浜に支店を開設したのは1900年。1906年に裁縫学校を開設し、上流社会の子女を中心にミシンは広まっていきます。とはいえ、当時のミシンは高価で、月収の10倍にも上り、簡単に入手することはできませんでした。シンガーは「月賦」販売、さしずめ現代で言うなら分割払いで手に入れることができるシステムを取り入れたのです。


誰しもが洋装を着用していなかった当時において、和装の着物を縫ったり、着物や着物の半襟、帯などに刺繍するのに使用していたようです。当時のシンガーミシンのカタログには、着物に施された刺繍や、刺繍のタペストリーなどの見本が掲載されていることからも頷けます。



<ミシン刺繍の衝立>
さきほどお伝えしたように、この衝立はシンガーミシン15種という型式のミシンを使った刺繍のサンプルと記録されています。
図柄は「唐獅子」「牡丹」と「石橋」です。そう能の「石橋(しゃっきょう)」に取題したものとなっています。

「石橋」のあらすじは下記の通りです。
中国・インドの仏跡を巡る旅を続ける寂昭法師[大江定基]は、中国の清涼山(しょうりょうぜん)[現在の中国山西省]にある石橋付近に着きます。そこにひとりの樵の少年が現れ、寂昭法師と言葉を交わし、橋の向こうは文殊菩薩の浄土であること、この橋は狭く長く、深い谷に掛かり、人の容易に渡れるものではないこと[仏道修行の困難を示唆]などを教えます。そして、ここで待てば奇瑞を見るだろうと告げ、姿を消します。
寂昭法師が待っていると、やがて、橋の向こうから文殊の使いである獅子が現われます。香り高く咲き誇る牡丹の花に戯れ、獅子舞を舞ったのち、もとの獅子の座、すなわち文殊菩薩の乗り物に戻ります。
(出典:「The 能.com」https://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_030.htmlより)
刺繍の技法の細部を見ていくと、橋の親柱や高欄は「砂縫(すなぬい)」というステッチで、あたかも砂を撒いたかの如く表現しています。
また、高欄の松を意匠化した文様の輪郭は、文字通り「輪郭縫」、牡丹の花の芯は「粒縫(つぶぬい)」、牡丹の花弁は「サテン縫」などと複数の刺繍技法を用いています。
これらの技術を用いた刺繍の製品は、国内需要だけではなく、海外でもニーズが高かったようです。折しもヨーロッパではアールヌーボーが流行し、ジャポニズムがもてはやされました。印象派の画家たちの作品に、刺繍が施された着物をローブ代わりに羽織る女性が描かれるなど衣装として、テーブルクロスやクッションなど室内を彩るインテリアとしてなどの需要がありました。
<「和」と「洋」の出会い>
現代のようなコンピューターミシンがない時代にアナログなミシンだけで、どのようにしてこれほど見事な刺繍を施したのか。私自身、解明できていない点はたくさんありますが、職人の方々の技術には頭が下がる思いです。
アメリカ製のミシンで、中国の故事にならった能の演目「石橋」を描き出す…。暖炉衝立という洋のインテリアの中に咲いた和と洋との融合は「和魂洋才」とも言えるかもしれません。
火を入れない夏だからこそ、部屋の華ともいえる暖炉衝立。刺繍に込めた職人たちの熱い思いを感じてみてください。
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