鹿鳴館の椅子の謎-2

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2026/02/20

鹿鳴館の椅子の謎-2

二十四節気にそえて 2

 

<雨水> 太陽の黄経が330度の時で、正月の中。(『広辞苑』)

 

 

 

鹿鳴館の椅子(下)

<椅子のたどった道は…>

この椅子が、明治村へやってきたのは、1971(昭和46)年に、霞会館から寄贈されたものです。いろいろ調べたり、人に尋ねたりしていくうちに、戦後のある事実に行き当たりました。

「このころは諸名士の邸宅が高級将校用に接収され、数寄屋建築の床柱をペンキ塗りとするような改装もしばしば行なわれた。[1]」とあるよう、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部、General Headquartersの略)によって、ペンキが塗られてしまったのではないか。

霞会館-塗られた当時は華族会館であったと思う-は、GHQに接収されました。その室内にあったこの竹塗りの椅子が、ペンキの被害にあったとしても不思議ではありません。『華族会館史』によると、華族会館は1945年11月9日に接収され、解除されたのが1954年7月31日、この間建物や調度品は「多くの器物が到底修復不可能の状態に破損された[2]」との記載もあります。

このペンキの下に隠された模様はどのようなものだったのでしょうか、現れてくるだろう模様を想像するだけで、心が浮き立ちます。しかし、先立つものとそれをするだけの強力な意義づけがなく、時が来るのを待つしかありません。

念ずれば叶う、とはこのことかと思うタイミングがやってきました。

 

 

<椅子の全容が甦る>

1996年、明治村では、それまで建物内に入ったり、建物内に入れても室内には入れないという見学スタイルを取っていました。しかし、明治という時代が終わり、80年以上が過ぎると、明治時代が懐かしい時代から、よくわからない時代になってきていた。そこで、なんとか明治という時代を身近に感じてもらえるような展示手法に変更しようということになりました。

まずは、これまで入れなかった室内に入っていただき、室内そのものを体験していただこうというものです。洋館はガランとした室内ではなく、ついさっきまで誰かがいたのではないか…そんな人の気配が感じられるような空間を作ろうということになったのです。

どのように室内空間を作ったのか…はまた別な機会に譲るとして、竹塗りの椅子を修理して、展示することとなりました。

修理の大前提は、座っていただけること。椅子のクッションなどを補修し、座面を張り替える修理の際に、椅子の修理業者の方に、漆の下地に影響を与えない範囲内で、ペンキをはがしてもらうよう依頼しました。すべてのペンキが落とせたわけではありませんが、椅子が作られた当初の姿に近い姿、枯れた竹の肌の色に流れるような蒔絵と螺鈿で装飾された姿が甦りました。

 

 

 

 

 

<小村寿太郎と竹塗りの椅子>

甦った竹塗りの椅子ですが、以後追加の情報もなく20年近くの年月を経た昨年、ひょんなきっかけで再び竹塗りの椅子に遭遇することとなりました。

2025年、明治村ではポーツマス条約調印120年を記念し、宮崎県日南市の小村寿太郎記念館から資料を借用し、企画展を開催することとなりました。

 

 

 

小村寿太郎(1855~1911)の二男・捷治が著した『骨肉[1]』を紐解くと、小村寿太郎が外務大臣官邸で過ごしていた時の様子が

「…(前略)その当時父が書斎に用いた室は今の参与官室だった。この部屋で父は鹿鳴館時代の遺物たる、竹に蒔絵をしたアームチェアーに坐して物を考えていた。(後略)」

と、描かれているではありませんか。

鹿鳴館が1894年に華族会館に払い下げられた後、小村寿太郎は1901年~1906年と1908年~1911年の2度外務大臣に就任しています。竹塗りの椅子を、「鹿鳴館の遺物」と捷治が表現していることは非常に興味深い(厳密に言うと「竹に蒔絵」ではありませんが、一見すると竹に見えるのは以前に記したとおりです)。外務大臣官邸では、「鹿鳴館の遺物である竹塗りの椅子」と言い伝えられてきたのでしょう。

 

 

<鹿鳴館の椅子に秘められた謎>

鹿鳴館で使用されていたとされている竹塗りの椅子。その裏面に貼られた「大正9年10月調●(不明)」のラベルの存在に、ひょっとしたら大正年間に製作された椅子かもしれないという、拭い去れない不安を持ち続けてきました。しかし小村捷治の遺した記録から、「鹿鳴館」とは明言できないものの、明治時代に製作されたとの確信を得ることができました。(「大正9年10月調●」は、備品を確認した際のものかもしれません。)

どこの誰が、どのような意図でこの椅子を製作させたのか、製作したのか、まだまだ謎は残ります。地道ではありますが、この謎を少しでも解き明かせるよう、これからも調査を進めていきたいと思います。

 

 

 

[1] 『大林組八十年史(https://www.obayashi.co.jp/chronicle/80yrs/t3c1s4.html)』2025年12月31日閲覧

[2] (社)霞会館『華族会館史』P721 1966年

[3] 小村壽太郎侯奉賛会(企画編集) p110 2005年

 

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