村内MAP 寄付する

MENU

見る・知る

八角形の看守所と監房

金沢監獄中央看守所・監房

金沢監獄は明治5年(1872)制定の「監獄則並図式」に沿って造られた監獄。八角形の看守所を中心に5つの監房棟が放射状に並ぶ洋式の配置でした。そのうち中央看守所と独居房として使用された監房の一部分が移築されました。なお中央に置かれている監視室は網走監獄で使用されたものです。
監視室からは各監房棟の中廊下が一望に見渡せ、外部については看守所上部の見張り櫓から監獄全域の状況を把握できるため、管理上非常に効果的でした。

建設年 明治40年(1907)
村内所在地 5丁目62番地
旧所在地 石川県金沢市小立野
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成16年(2004)
解体年 昭和46年(1971)
移築年 昭和47年(1972)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    ポイント01|中央から舎房を見渡す見張所

    中央看守所の中央には、直径3.3mの監視室が置かれ、ここから各舎房の廊下がひと目で見渡せるようになっていました。現在、明治村に置かれている監視室は金沢監獄のものではなく、網走監獄で使われていたものです。

    中央看守所は柱のない八角形の造りで、直径14mの大広間。大広間の天井は、建物の八角形状に沿って天井板が張られています。中央を折り上げ、段差を利用した換気口が設けられています。

    ポイント02|中央看守所の屋根には見張塔が

    Check!

    四角形の見張り櫓は、四方にガラスの建具をはめ、屋根は宝形で四辺の軒の中央を折り上げたもの。頂部の棟飾や腰壁のデザインなどに、工夫の跡が見られます。

    ポイント03|廊下の左右に、監房の重厚な扉が並ぶ

    広い中廊下の左右には、独居監房の重い扉が整然と並びます。扉の上にある換気用の高窓から、独房内の衛生面への配慮がうかがえます。

    村内 Googleマップ

    村内の場所

    ストリートビューで見学

    一覧に戻る

    同じエリアのスポット

    - IN THE SAME AREA -

    見る・知る

    一覧へ

    建造物

    地方裁判所の刑事法廷棟。裁判所全体は左右対称の厳格な構えのH型で、その右翼部が明治村に移築されました。
    明治初期において、上級審は洋風煉瓦造であることが多いのに対して、宮津裁判所は和洋折衷の木造建築です。瓦葺きの屋根や素地のままの外壁などには、伝統的な和風建築の様式が色濃く遺されたもの。和風の意匠をベースにしつつ、切石の基礎や法廷入口のアーチなど、随所に洋風のデザインが施されています。外観は入母屋造りの桟瓦葺きで、吹き放ちの庇が特徴的。軒下にガラス入りの高窓が開きます。外壁は、隅柱を除いた漆喰塗りで、腰部分は竪羽目の板張り。

    宮津裁判所法廷

    常設展示 / Pick Up!

    明治38年(1905)、日露戦争を終結させるポーツマス条約が締結された際に使用されていたテーブルを帝国ホテル2階で展示しています。教科書などで載っているポーツマス条約調印の写真やスケッチに登場するのがこのテーブルです。
    このテーブルをはさんで、当時の外相・小村寿太郎とロシアのセルゲイ・ウィッテが激しく意見を戦わせました。

    ポーツマス条約の机

    建造物

    前橋監獄は洋式の4方放射式建築で、中央に八角洋風の高塔を据えた建物でした。監房は平屋で、各舎房とも、2棟もしくは3棟が連続していたとされています。そのうちの1棟が、この雑居房です。
    中廊下形式の建物で、廊下の左右に21の房が並び、端には洗い場がついています。和洋折衷の構造で、格子壁で囲まれた各舎房が左右に連なった上に、洋小屋を載せた形です。各房は、堅い栗の角材が格子状に組まれた形式。房の周囲と廊下は吹きさらしとなっていて、寒さの厳しい真冬には、受刑者にとって過酷な環境だったといえるでしょう。

    前橋監獄雑居房

    村内MAP 開村時間 料金 団体情報 アクセス