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建造物

この建物はガラス工場施設の一部で、当時は大きな窯場や倉庫が隣接していました。明治政府は、明治9年(1876)に民営のガラス工場、品川興行社を買い上げて国営工場としました。施設を拡張・整備し、イギリス人の技術者たちを雇い入れて、需要の急増した板ガラスやガラス瓶などの国産化を急ぎました。
明治18年(1885)には再び民間のガラス会社に移管され、明治41年(1908)には高峰譲吉が共同出資した三共合資会社が買収して、タカジアスターゼ(胃薬)などを作る製薬工場になりました。いろいろな変遷を経てきた建物ですが、明治初期の洋式煉瓦造工場の姿をよく伝えています。

工部省品川硝子製造所

建造物

隅田川に架かっていた鉄橋「新大橋」の一部。当時の日本橋浜町から深川安宅町間へ架かる橋として、多くの人々に利用されました。
隅田川には江戸時代以来、木橋が架けられてきましたが、明治の半ば頃から次第に鉄橋に架け替えられました。この新大橋もその一つで、明治41年(1908)に起工され、同45年(1912)に開通。明治村には、日本橋側に架かっていた1径の半分、約23mの部分が移築されています。
設計監理は、まだ東京市であった頃に市の営繕(えいぜん)を担当していた技術者達によるもの。日下部辨二郎、樺島正義らの名前が記録されています。鉄材はアメリカからカーネギー社の製品を輸入し、石材は常陸の石を使いました。

隅田川新大橋

建造物

東京目白の学習院敷地内に建てられた院長官舎。学習院は江戸末期に京都で始まり、皇室や華族の子弟を教育する学校として明治10年(1877)に創立。明治17年(1884)、宮内省所管の官立学校として発足しました。当初は千代田区神田錦町にありましたが、麹町、四谷を経て、明治41年(1908)にまだ郊外であった目白に移転しました。この官舎が建てられたのは、目白に移転した翌年のことです。
当時の学習院院長は、第10代にあたる乃木希典。希典は日露戦争の終結後、明治39年(1906)に軍事参議官という閑職に補せられ、翌40年(1907)1月から学習院長を兼任することとなりました。
建物は木造で、2階建ての和館と洋館が接続した形。洋館部分は、執務室・応接室・大広間からなり、公的なスペースとして使われていたようです。設計者は、文部省技師久留正道であることがわかっています。

学習院長官舎

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