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建造物

六郷川鉄橋は日本初の複線用鉄橋です。明治5年(1872)に日本で鉄道が開業した当時、新橋-横浜間に架かる22の橋は全て木橋でした。開通後、複線化の計画により鉄橋への架け替えが進められました。
お雇い外人の英人土木技師ボイルの設計で、全長は約500m、錬鉄製トラス桁6連からなる本橋と避溢(ひつい)橋で構成されていました。明治45年に東海道線の複々線化に際してこの鉄橋は外され、単線用に改造されて御殿場線の酒匂川に架けられた後、昭和40年に役目を終えました。明治村へは本橋部のトラス1連が移築されています。

六郷川鉄橋

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歩兵第六聯隊は、名古屋に置かれていた東京鎮台第三分営という軍隊が、明治6年(1873)に名古屋鎮台に昇格した時に新しく編成された部隊でした。名古屋城大手門の右手にある二之丸跡に兵営が設置され、営庭を取り囲むように兵舎が配置されました。明治村へ移築されたのは第十中隊で、兵舎は約7割程度に切り縮められました。
外観は漆喰壁に上げ下げ窓が並び、素朴な印象を与えます。しかし、構造はとても頑丈で、外側の柱はすべて土台から軒まで達する太い通し柱とし、壁の下地になる木摺(きずり)を斜めに打ち、瓦を張って白漆喰で仕上げている。

歩兵第六聯隊兵舎

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明治の文豪である森鷗外と夏目漱石が、奇しくも相次いで借家した和風住宅。明治20年(1887)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたものの、空家のままだったこの家は、明治23年(1890)に森鷗外が借家し1年余りを過ごしました。鷗外は、ここに移り住む同年の1月、処女作小説『舞姫』を発表。この家では『文づかひ』等の小説を執筆し、文壇に入っていきました。
明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が住み、漱石はここで『吾輩は猫である』を発表。文壇にその名を高めました。文中に描写された家の様子は、よくこの家の姿を写しています。
玄関脇の張り出した和室(応接兼書斎)、台所から座敷への中廊下には、住宅の近代化の萌芽が見られます。

森鷗外・夏目漱石住宅

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