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重要文化財 / 建造物

名古屋市の中心部、堀川の近くにあった町家です。東松(とうまつ)家は明治20年(1887)代後半までは油屋を生業としており、その後は昭和のはじめまで堀川貯蓄銀行を営んでいました。
塗屋造りという江戸時代から続く伝統工法を用いられているこの建物は、間口4間(約7.27m)、奥行き8間半(約15.4m)、切妻造りの屋根をのせた3階建て。間口が狭く奥行きの深い造りは、町家建築の典型そのものですが、創建以来、何度も増改築を繰り返しました。もともと江戸末期には平屋だった建物を、明治28年(1895)に後方へ曳いて移動させたうえ、2階の前半分を増築して現在の店構えに。さらに明治34年(1901)、3階より上の部分を増築したとされています。

東松家住宅

建造物

小泉八雲(1850-1904)はもとの名をラフカディオ・ハーンと言い、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた。アイルランドで教育を受けた後、アメリカで新聞記者などを経て、明治23年(1890)に来日し、英語教師として松江中学を始め各地へ赴任しました。明治29年(1896)に日本に帰化し、同年東京帝国大学に招かれ教鞭をとるようになると、毎年夏を焼津で過ごすようになりました。この家は魚屋の山口乙吉の家で、1階に通り土間を備えた典型的な町家です。

小泉八雲避暑の家

建造物

石川県金沢市に第四高等中学校(現 金沢大学)の物理化学実験教場として建てられました。近代化を進める明治政府にとって、自然科学教育は重要課題で、明治5年(1872)に公布された「小学規則」にも窮理学(物理)、化学、博物、生物の4科目があげられており、初等教育の段階から、重きをおいていました。
棟札によると工事監督は山口半六、設計監理は久留正道。いずれも文部省技師として、多くの学校建築に携わった人物でした。

第四高等学校物理化学教室

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