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帝国ホテル中央玄関

20世紀建築界の巨匠として名高いフランク・ロイド・ライト(1867-1959)によって設計された、旧帝国ホテルの中央玄関部です。首都の迎賓施設にふさわい華やかさとライト独自の設計思想が隅々まで行き渡り、全体の設計から各客室に至るまで、多様で他に類を見ない空間が実現していました。
床の高さや天井の高さに変化をつけながら、水平に、垂直に展開していく空間演出や、各種の部材に施された多彩な造形美など、見どころは尽きません。

建設年 大正12年(1923)
村内所在地 5丁目 67番地
旧所在地 東京都千代田区内幸町
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成16年(2004)
解体年 昭和43年(1968)
移築年 昭和51年(1976)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    ポイント01|日本を代表するホテルとしてのスケールの大きさ

    4年間の大工事を経て、東京都千代田区内幸町に帝国ホテル(ライト館)が竣工したのは、大正12年(1923)、奇しくも関東大震災当日のことでした。それ以降、昭和42年(1967)の解体が始まるまで、日本の代表的なホテルとして、東京を訪れる国内外の政治家や有名人に利用されました。

    帝国ホテルのスケールの大きさは、日比谷公園を正面に、日比谷通り沿いの間口約100m、奥行き約150m余の広大な敷地から容易に想像できるでしょう。総面積34,000㎡余の大建築には、中心軸に玄関、2層吹き抜けの大食堂、高層の劇場などの公共部分がつらねられ、左右には、全長150m・3階建ての客室棟が配されていました。

    明治村に移築保存されたのは、その客室棟の中央玄関部分です。また、建物前面にあった池も再現されました。

    ポイント02|独特な世界観を醸し出しす多彩な幾何学模様

    内外とも大谷石とスクラッチレンガが多用され、大谷石やテラコッタに施された多彩な幾何学模様が、独特な世界観を醸し出します。また、壁画や彫刻、家具、敷物、照明器具や食器のデザインに至るまで、ライト自身が手がけたこともポイント。どんな作品でも建築とインテリアとの調和を重視したという、ライトの理念が如実に表れています。

    ポイント03|様々な建築技法が駆使された個性ある空間

    元の建物の主構造は、鉄筋コンクリート造をベースにしつつ、大梁、小梁、逆梁、キャンティレバー(片持梁)など、様々な建築技法が駆使されていました。
    また、用途やスケールに応じて、個性ある空間が並んでいました。建物の壁は「すだれ煉瓦」(スクラッチタイルで復原)と彫刻された大谷石をメインに、数種類の素焼テラコッタを組み合わせ、内外を覆います。建具は木製で、桟の配置と金箔を挟んだステンドグラスに、細部にまでこだわる気迫に圧倒されます。

    ポイント04|数々の彫刻と装飾がメインロビーを彩る

    メインロビー中央は、3階までの吹き抜け空間。中央玄関内のすべての空間は、この吹き抜けを囲むように配置されています。それぞれの空間で床の高さ、天井の高さが異なっており、大階段と左右の廻り階段を昇るごとに、新たな視界を楽しませてくれます。

    建物の内外は、彫刻された大谷石、透しテラコッタによって様々に装飾。とりわけ左右ラウンジ前の大谷石の壁泉と、吹き抜けの「光の籠柱」と大谷石の柱、食堂前の「孔雀の羽」と呼ばれる大谷石の大きなブラケットは、見る人を圧倒する美しさです。大空間の中を光が上下左右に錯綜し、まわりの彫刻に微妙な陰影を与えることで、ロビーで過ごす時間を特別なものにしてくれます。

    ポイント05|ライトのデザインを味わい尽くす

    フランク・ロイド・ライトは建築だけではなく、そこで使用される家具や食器のデザインも行いました。「家具の形状は、全体の中で意図され、かつ楽しまなければいけない。」その言葉の通り、機能性に加えて、空間全体に馴染む質感や表情のある家具を提唱しました。

    Check!

    「ピーコックチェア」と呼ばれる6角形の椅子。座る人が最も美しく見えるようにデザインされています。

    建物内では、ライトが建築家として活躍し始めた初期にデザインした2種類のステンドグラスを展示しています。

    Check!

    エヴァンズ邸とフランシス・リトル邸のステンドクラスの展示。窓外の景色を邪魔しないよう、装飾が端の方に寄せられているのが特徴です。
    帝国ホテルを設計するよりも遥か昔の作品ながら、同ホテルに通ずる、ライトのこだわりを感じられます。

    偉人ストーリー

    日本建築や美術にも影響された巨匠建築家

    設計者のフランク・ロイド・ライト(1867-1959)は、20世紀を代表する建築家の一人です。
    ライトは大学を中退後、シカゴの建築事務所へ。明治26年(1893)に参加したシカゴ博覧会では、平等院鳳凰堂を模して建てられた日本館に強い印象を受けたといいます。

    さらに明治38年(1905)には観光で初来日し、日本美術に興味を持つきっかけに。この折に、美術骨董商「山中商会」の林愛作と知己となりました。その後、ヨーロッパに渡って作品集が刊行されるなどし、またたく間に有名になりました。

    そして大正4年(1915)、帝国ホテルの支配人となった林愛作が渡米して新館設計の依頼。翌年にはホテル設計のため来日し、大正8年(1919)、日比谷公園に面した場所で、ライトの設計監理による新館の起工が始まりました。しかしながら建築途中だった大正11年(1922)、支配人の林愛作とともに、ライトは設計監理から解任されてしまいます。

    ライトの帰国後、弟子であった遠藤新が工事を続行し、翌年9月1日、奇しくも関東大震災の日が新築披露となりました。東京をはじめとした関東一円は震災で大きな被害があったものの、奇跡的に、帝国ホテルの震害は軽微なものでした。帝国ホテルは、巨匠のライトが日本に遺した代表的作品であるといえます。

    移築秘話

    「様式保存」により、由緒ある建築を細部まで再現

    帝国ホテルは戦災の被害も少なく、補修を重ねながら東京の中心で営業を続けました。しかしながら、戦後の高度経済成長期に高層化の計画が始まり、取り壊しが決定。フランク・ロイド・ライトがデザインした由緒ある建造物を遺したいと、国内はもちろん海外まで、保存問題が物議を醸しました。昭和43年(1968)、中央玄関部分のみが明治村に寄贈され、昭和60年(1985)より展示公開される運びとなりました。

    移築に当たっては、ライトによる設計理念、寸法体系およびそれらが醸す空間の質を保存する「様式保存」という考え方が採用されました。主構造を鉄骨鉄筋コンクリート造および鉄骨造混構造に変更し、大谷石の一部をプレキャスト・コンクリートおよび擬石で代用、またテラコッタを樹脂製で代用するなど、当初材の再利用が困難な場所には新素材が使われています。

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