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名鉄電車の発展により誕生した変電所

名鉄岩倉変電所

名古屋市内では京都市電に遅れること3年、明治31年(1898)に開通した名古屋電気鉄道により、市内電車が走り始めました。同社はその後も尾張地区に路線を伸ばし、大正元年(1912)には犬山線を開通。その時に建てられたのが、この「岩倉変電所」です。
建物は、内部に大きな変電用機械が入れられるように、背の高いレンガ造りに。出入り口や縦長の大きな窓は、半円のアーチ型。褐色の塩釉系のレンガを、上下4段の帯に入れています。建物四隅にはバットレス(控壁)が取り付きます。

建設年 明治45年(1912)
村内所在地 5丁目66番地
旧所在地 愛知県岩倉市
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成16年(2004)
解体年 昭和49年(1974)
移築年 昭和50年(1975)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    ポイント01|木造クイーンポストトラスの小屋組

    小屋裏を露出させた小屋裏あらわしになっています。

    ポイント02|設計者の遊び心があふれる、レンガ積みの装飾

    変電所の背面は、他の3面と趣が異なり、様々なレンガ積みの手法を用いた装飾が施されています。半円アーチ、円弧アーチ、柱型、凹みなど、設計者の楽しみの跡がうかがわれるようです。この面に碍子(がいし)が付き、架線に電気が送られていました。

    Check!

    縦長の窓には上げ下げの建具が建て込まれ、上部に半円形の欄間がつけられています。窓によって切り取られた村内5丁目の風景もぜひお楽しみください。

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    建造物

    地方裁判所の刑事法廷棟。裁判所全体は左右対称の厳格な構えのH型で、その右翼部が明治村に移築されました。
    明治初期において、上級審は洋風煉瓦造であることが多いのに対して、宮津裁判所は和洋折衷の木造建築です。瓦葺きの屋根や素地のままの外壁などには、伝統的な和風建築の様式が色濃く遺されたもの。和風の意匠をベースにしつつ、切石の基礎や法廷入口のアーチなど、随所に洋風のデザインが施されています。外観は入母屋造りの桟瓦葺きで、吹き放ちの庇が特徴的。軒下にガラス入りの高窓が開きます。外壁は、隅柱を除いた漆喰塗りで、腰部分は竪羽目の板張り。

    宮津裁判所法廷

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    隅田川に架かっていた鉄橋「新大橋」の一部。当時の日本橋浜町から深川安宅町間へ架かる橋として、多くの人々に利用されました。
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    設計監理は、まだ東京市であった頃に市の営繕(えいぜん)を担当していた技術者達によるもの。日下部辨二郎、樺島正義らの名前が記録されています。鉄材はアメリカからカーネギー社の製品を輸入し、石材は常陸の石を使いました。

    隅田川新大橋

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    東京・日本橋のシンボルとして、永く人々に親しまれてきた川崎銀行本店。その正面左端の外壁が部分的に保存されています。
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    明治村では、展望タワーとして生まれ変わっています。

    川崎銀行本店

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