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愛知県常滑市の土とやきものの技術が支えた「帝国ホテル・ライト館」のスダレ煉瓦を間近で体験してみよう!

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アート おでかけ 建築

2023/06/02

愛知県常滑市の土とやきものの技術が支えた「帝国ホテル・ライト館」のスダレ煉瓦を間近で体験してみよう!

日本のホテル御三家のひとつといわれる「帝国ホテル」。初代本館に続き、二代目にあたる通称「ライト館」は、2023年9月1日に竣工から100周年を迎えます。ライト館は建築の巨匠といわれたフランク・ロイド・ライトによる設計で、当時類をみない異彩を放つ建物として「東洋の宝石」と呼ばれ話題となりました。

そして、建物には煉瓦の表面が簾(すだれ)のように垂直方向に引っ掻かれている「スダレ煉瓦」という煉瓦が大量に使われました。今回はそのスダレ煉瓦にスポットをあて、その特徴や使われた背景・歴史などをご紹介します。

 

帝国ホテルとは

東京都千代田区・日比谷公園向かいに建つ帝国ホテル。多くの著名人や要人をもてなしてきた、国を代表するホテルのひとつです。

初代帝国ホテルが建設されたのは、1890(明治23)年。近代化が一気に進み、多くの海外客を受け入れる大型宿泊施設として、国策のもと建設されました。

しかし、震災や戦争などで焼失や立て替えが都度行われ、変遷の中、当時の日本国内のホテルにはなかった宴会場や演芸場などの設備をはじめ、ホテル初の結婚式場の設置、直営ランドリーや郵便局の開設などの画期的なシステムへの導入などがライト館から始まり、現在の私たちも恩恵を受けています。

 

20世紀の建築界の巨匠
フランク・ロイド・ライトの想いが
結集して建てられた「帝国ホテル・ライト館」

帝国ホテルは、当時多くの海外客の宿泊施設として利用されていましたが、近代化が進み、より多くの宿泊客の受け入れが急務となり、新たにホテルを建設することになりました。

その建築にあたっては、当時古美術商に従事し、ヨーロッパ各地に顧客を持ち、アメリカ・ロンドン・欧州・中国・日本の一流ホテルにも精通していたことから、林愛作氏が支配人に選任されました。

林氏は自身の渡米経験から、西洋人が居心地がよい西洋式ホテルでありながら、日本人にとっては当たり前でも西洋人にとっては非日常で魅力的(ふすまや障子の解放感や部屋の柔軟性など)であるべきという新館計画を実現するために、世界三大建築家のひとりといわれるフランク・ロイド・ライト(1867-1959)に設計を依頼します。

ライトにとっても、日本で初めてホテル建築を手がけたのが、帝国ホテルの二代目となる、通称「ライト館」でした。

「ライト館」は、それまでの西欧にならった赤煉瓦建物とは違い、黄色の「スダレ煉瓦」と「大谷石(おおやいし)」を型枠として用いて、鉄筋を配しコンクリートを打ち込む鉄筋コンクリート造として建てられました。

また館内は、窓からの光の採り入れ方を工夫し、かつライトの象徴ともいえる幾何学模様の内装やインテリアと見事に調和し、外観・内装ともこれまでにないライトならではの唯一無二の空間が生まれました。その建築法やデザインは、その後の建築家にも大きな影響を与えます。

ライトの象徴ともいえる幾何学模様の内装・家具など調和をもたらすインテリア

そんなライト館ですが、新館建て替えのため1967(昭和42)年に取り壊され、中央玄関は現在「博物館 明治村」にて公開されています。

 

スダレ煉瓦(後のスクラッチタイル)とは

表面が簾(すだれ)のように垂直方向に引っ掻かれているスダレ煉瓦

ライト館建設には「スダレ煉瓦」が約250万個も使われました。後に鉄筋コンクリートの表面に張り付ける同じような面状をした厚さの薄いタイルが普及し、スクラッチタイルと呼ばれました。

※「煉瓦」は積んで構造材となるもので、「タイル」は床や壁の表面を覆うものという違いがあります。日本産業規格(JIS)においては、タイルの厚さは40㎜以下とされています。ライト館で使われた表面仕上げ材は、広義にはタイルと表現されることもありますが、厚さは50㎜あるので、厳密にいうと「煉瓦」に分類されます。

画像提供:INAXライブミュージアム
土を木の枠に入れ、約5ミリ感覚で釘が打たれた棒を手前に引いていくのは、かなりの力とコツがいる作業

ライトは、このスダレ模様の黄色い煉瓦の試作品をアメリカから持参して、ホテル建設にどうしても使いたいという強い思いがありました。しかし海外から輸入するとなると費用がかさむため、国産で製造することに。そこで、まずは煉瓦ををつくるのに適した土探しからはじまりました。

そしてついに、愛知県知多半島で採れる土が適していることがわかります。

 

「帝国ホテル煉瓦製作所」

画像提供:INAXライブミュージアム
愛知県知多半島南部でとれる内海粘土。鉄分が少なく、ライトが目指した黄色に焼き上がるのが特徴

知多半島の常滑(とこなめ)は、常滑焼として知られるやきものの産地ですが、ライトが求めるスダレ煉瓦をつくるのに、常滑から20㎞ほど南の粘土山から採れる青みを帯びた内海粘土(うつみねんど)が適した土だということがわかりました。ライトはわざわざ現地まで足を運んで、自身の目で確かめるほどの熱の入れようでした。

画像提供:INAXライブミュージアム

ホテル側は早速1917(大正6)年、常滑の地にスクラッチタイル専用の製作所「帝国ホテル煉瓦製作所」を建設します。

画像提供:INAXライブミュージアム
左は土練室、事務室、機関室の建物。右は採土した土と、手前は水と合わせるための煉瓦製の桶(ボチ)

画像提供:INAXライブミュージアム
1919(大正8)年当時の工場の幹部及び従業員

画像提供:INAXライブミュージアム
知多半島で代々続く陶芸家の家督を継いだ伊奈初之烝(いなはつのじょう)

そして、工場での技術指導の顧問に就任したのが、常滑で土管製造業を営む伊奈初之烝(いなはつのじょう/1862-1926)と息子の長三郎でした。

初之烝はもともと陶芸の家系に生まれましたが、4代目から家督を継いだ後、陶芸の道ではなく産業としての新しいやきものづくりを目指し、土管などの製造をおこなっていました。

50年もの間、食塩釉(しょくえんゆう)と呼ばれる手法で土管を焼いてきた窯の内壁はツヤっとした飴色に

初之烝は、当時土管製造の機械をアメリカから輸入し、機械化による土管の大量生産工場を運営していたため、煉瓦製造にはこのノウハウが活かされます。

画像提供:INAXライブミュージアム

そして手作業と機械化の融合を図りながら効率化を進め、1921(大正10)年、初之烝親子の尽力と職人たちの試行錯誤により、ついにライトの要望に応えたスダレ煉瓦250万個をはじめ、穴抜け煉瓦150万個やテラコッタを無事納品を完了します。

ライト館竣工と同時に役割を終えた製作所の従業員と設備は、伊奈製陶株式会社(のちのINAX、現LIXIL)に引き継がれました。

 

黄色に焼きあげるための焼成技術

画像提供:INAXライブミュージアム

そのスダレ煉瓦ですが、実は出来上がるまでに多くの苦労がありました。
中でも一番苦労したのが、この煉瓦の特徴でもある「黄色」に焼き上げることでした。

画像提供:INAXライブミュージアム
上から950℃、1025℃、1075℃、1100℃、1175℃、1190℃で焼いた色の違いで、スダレ煉瓦は一番下の1190℃

やきものの世界では、「一に焼き、二に土、三に細工」という言葉があるように、焼成はタイルの色合いを決める最も重要な要素とされています。

その焼成でポイントになるのが「焼成温度」と「焼成方法」です。焼成温度は1190℃、焼成方法は、「酸化焼成」といって、窯の中に大量の空気を入れて焼く方法です。

そしてこの2つの条件が重なることで、ライトの目指した色合いが得られました。

また、この焼成方法で多量のスダレ煉瓦を生み出すまでには、職人や特許との葛藤や、幾度となる試作を繰り返すなど、数多くの物語があったようです。

建設当時のスダレ煉瓦。模様はすべて手作業で施されています

明治村の帝国ホテル中央玄関を訪れた際には、車寄せの柱に注目してみてください。ここでは、建設当時のスダレ煉瓦が見られます。

INFORMATION

INAXライブミュージアム

所在地

愛知県常滑市奥栄町1-130

営業時間

10:00~17:00

定休日

水曜日(祝日は開館)、年末年始

電話番号

10:00~17:00

公式サイトURL

https://livingculture.lixil.com/ilm/

帝国ホテル中央玄関(博物館 明治村内)

所在地

犬山市字内山1(博物館 明治村内)

公式サイトURL

https://www.meijimura.com/

Writer

ふるかわ かずみ

記者

ライターふるかわ かずみ

結婚情報誌、美容、飲食を展開する出版社に約9年勤務。結婚を機に退職後は旅行好きが高じてフリーライターへ。家の転勤で福岡・広島を経由し、現在は名古屋市在住。愛知県はもちろん、東海3県の魅力を満喫&発掘中。得意分野は神社や温泉、そのほか美味しいものも大好き。地元の人の「当たり前」にプラス「新たな発見」をお届けします。