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水平床面の洋風石造アーチ橋

天童眼鏡橋

山形県天童市の倉津川に架けられた石造アーチ橋。もともとの名は多嘉橋(「高橋」の表記とも)。幅7.7m、長さ13.3mの規模で、地元産の山寺石を積んで造られました。
日本のアーチ橋は、江戸初期に建造が始まり、長崎の眼鏡橋などが有名です。中国から伝来した技術が用いられたため、九州地方に多く架けられました。明治に入ると、欧米の技術も取り入れられ、各地で見られるようになりました。東北地方のアーチ橋は、当時の県令であった三島通庸による土木政策からも大きな影響を受けました。長崎の眼鏡橋が湾曲した床面を持つのに対し、この橋は、ローマの水道橋のような水平な床面になっています。

建設年 明治20年(1887)
村内所在地 5丁目54番地
旧所在地 山形県天童市天童から老野森
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成16年(2004)
解体年 昭和45年(1970)
移築年 昭和51年(1976)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    ポイント01|アーチの形を保つ「迫持ち」の原理

    石造・煉瓦造を問わず、アーチには「迫持ち」という原理が用いられます。「迫持ち」とは、くさび型の材料を円弧上に積み上げ、個々のくさび型の部材がその重量で中心へ落ち込もうとすることにより、隣り合う部材同士がきつく密着して全体の形を保つというもの。構造上、強固かつ重量もある材料が不可欠です。

    ポイント02|石材が醸す独特の表情

    高欄や袖高欄、アーチ、円形の内面などは、山形産の山寺石(輝石安山岩質凝灰岩)という硬めの砂岩が使われました。淡いピンク色をかすかに帯びたこの石材特有の表情が印象的です。ちなみに、路面の敷石は、岐阜市内電車の路線にも使われていた線路敷石の御影石が使われています。

    ポイント03|古代ローマ建築に源流をもつ水平な路面を持つアーチ

    長崎地方で多く見られるアーチ橋は、江戸初期に中国からの伝来した技術によって造られ、上面が弓形に湾曲した設計です。それに対してこの「天童眼鏡橋」は、上面が水平になっていることが特徴。当時の山形県令であった三島通庸が、県内開化のために導入した西洋の土木技術の成果といえます。

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    山形県天童市の倉津川に架けられた石造アーチ橋。もともとの名は多嘉橋(「高橋」の表記とも)。幅7.7m、長さ13.3mの規模で、地元産の山寺石を積んで造られました。
    日本のアーチ橋は、江戸初期に建造が始まり、長崎の眼鏡橋などが有名です。中国から伝来した技術が用いられたため、九州地方に多く架けられました。明治に入ると、欧米の技術も取り入れられ、各地で見られるようになりました。東北地方のアーチ橋は、当時の県令であった三島通庸による土木政策からも大きな影響を受けました。長崎の眼鏡橋が湾曲した床面を持つのに対し、この橋は、ローマの水道橋のような水平な床面になっています。

    天童眼鏡橋

    建造物

    明治政府が中央図書館として建てた内閣文庫庁舎の主屋部分。内閣文庫とは明治6年(1873)、赤坂離宮内に「太政官文庫」という名で開設された明治政府の図書館です。江戸幕府から引き継いだ古文書に加え、各地の古文書や海外の書籍が買い足され、蔵書の内容は充実していきました。
    設計者は後に国会議事堂の建設を指揮することになる大熊喜邦。ルネッサンス様式を基調とした石と煉瓦で造られた建築で(移築時に構造は鉄筋コンクリート造に変更)、4本の円柱と2本の角柱が巨大なペディメントを受けている正面は、古代ギリシャ・ローマの神殿建築を思わせる姿です。この事務棟の背後に煉瓦造の書庫棟が建っていました。

    内閣文庫

    建造物

    20世紀建築界の巨匠として名高いフランク・ロイド・ライト(1867-1959)によって設計された、旧帝国ホテルの中央玄関部です。首都の迎賓施設にふさわい華やかさとライト独自の設計思想が隅々まで行き渡り、全体の設計から各客室に至るまで、多様で他に類を見ない空間が実現していました。
    床の高さや天井の高さに変化をつけながら、水平に、垂直に展開していく空間演出や、各種の部材に施された多彩な造形美など、見どころは尽きません。

    帝国ホテル中央玄関

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