記者
ライターリナコ・フ
2023/01/04
江戸川乱歩。その名前を聞くと、誰もが文豪である姿を想像するかもしれません。当時の日本では、まだジャンルが確立されていなかった探偵・推理小説の立役者であり、『鏡地獄』や『人間椅子』などの一風変わった世界観を作り出した偉人は、一体どんな人物なのでしょうか。
「実は、甘味が大好きで」「追求したカメラは、プロ並の実力を持っていたんですよ」「僕にとっては、いいおじいちゃんでしかなかったですね」そんな意外な一面を話してくれたのは、御令孫である平井憲太郎氏。
ここでは、誰もが知らない江戸川乱歩の “素顔”に迫ってみようと思います。
乱歩が作家として本格的に活動を始めたのは、30歳の頃。『D坂の殺人事件』『怪人二十面相』『人間椅子』『少年探偵団』など数多くの名作を生み出しました。戦後は、評論家やプロデューサーとしても活躍し、「探偵趣味の会」の盟友である横構正史氏とともに日本の探偵小説界を発展させるなど、探偵・推理小説を一つの文学ジャンルとして確立させました。
「祖父の友人がよく家に来て、色々なものをお土産にもらいましたよ」と話す、憲太郎氏。交友関係が広い乱歩の自宅には、さまざまな分野の著名人が土産菓子を持って訪問したのだとか。お酒が飲めなかったの乱歩は、中でも甘いものには目がなかったそうです。
「祖父は、とにかく甘味が大好きで。特に好きだったのが、氷あずきでした」
時は、大正。電気冷蔵庫がなかったこの時代に、乱歩は冷蔵庫を冷やすための氷を氷家から購入し、それをかき氷にも流用していたそうです。
日本でかき氷が食べられるようになったのは、横浜港が開港した江戸時代末期。その頃は、富裕層しか食べることができなかったと言われるほど高価な食べ物でした。明治20年代後半に起こった産業革命によって、製氷機が開発されるものの、一般に氷が広がるのは戦後の高度経済成長だったと言われています。
※イメージ
生涯で46回の引越しをした乱歩が最後の邸宅にしたのが、池袋の地でした。池袋の西口から歩いて5分ほどにある老舗の和菓子屋「池袋 三原堂」に手土産を買いによく訪れていたそうです。
1937年に創業以来、乱歩と共に街の発展を見届けてきた三原堂について『うつし世は夢』にこう記しています。
「ひいきの商店についてかけということで、すぐに思い浮かんだのは池袋西口駅前の菓子や三原堂だ。この店は池袋名物のうちでも、光った存在の一つであろう」
乱歩が特にお気に入りだったのが「薯蕷饅頭」。北海道十勝産の上品でしっとりとした小豆を使用し、山芋の風味が高い皮で包んだこの饅頭は当時の姿のまま。原稿用紙をイメージした掛け紙がとても素敵です。
「薯蕷饅頭」1個230円、4個入り1,040円
今も立教大学正門前に残る邸宅にある土蔵にちなんで名付けられた「乱歩の蔵」。モダンな乱歩をイメージしたブッセは、甘酸っぱい杏ジャムと濃厚なチーズバターの2種類。
「乱歩の蔵」各1個 230円
家で氷あずきを作ったり、甘味処に足繁く通ったりと、食に対しても追求し続けた江戸川乱歩。乱歩をも魅了した三原堂の甘味を片手に大正時代にワープしてみてはいかがでしょうか。
※当イベントは終了しております。最新のイベント情報は明治村HPよりご確認ください。
所在地 |
171-0021東京都豊島区西池袋1-20-4 |
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営業時間 |
10:00〜18:00 |
定休日 |
無休(甘味処は月曜定休) |
電話番号 |
03-3971-2070 |
https://www.instagram.com/ikebukuro_miharado/ | |
https://www.facebook.com/ikebukuromiharado/ | |
公式サイトURL |
https://ikebukuro-miharado.co.jp/ |
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