記者
メイジノオト編集部
2023/10/08
多くのデパートの地階は食品売場であることから、地下食品売場をさす「デパ地下」。新しいものから昔から馴染みのあるものまで、生鮮食品や加工食品、パン、和洋菓子、惣菜などさまざまなアイテムが並んでいます。
目移りしてしまうほどたくさんの魅力的な商品の中から、今回は、名古屋のデパ地下で明治時代にルーツがあるグルメを調査しました。
「たがねや」は、明治5年(1872年)5月5日、桑名平賀在の濱吉が、桑名城下に平濱(平賀の平と濱吉の濱)の屋号で菓子屋を開業したのがはじまり。現在で五代目という歴史あるおせんべいの老舗です。
当初、紙袋に入れて売られていた「たがね」。数枚の買い物を紙袋に入れて販売することは、当時としてはめずらしかったようです。「昔、桑名城下において、もち米とうるち米を混ぜ、ついた切り餅にたまり醤油をつけ、旅人に売られたのが始まり。いつの頃からか切り餅は煎餅になった」と伝えられています。
厳選した材料を使い、店先で一枚一枚丁寧に炭火で焼いた昔ながらの製法はそのままに、今もなお引き継がれています。
香ばしく焼き上げられたせんべいは、お米の粒まで感じられるつぶつぶ感と、餅米とうるち米から生み出されるパリッとした食感は絶妙です。
明治12年(1879年)、初代後藤利兵衛が徳川慶勝公から「青柳」の屋号を賜り、大須門前通りで創業した「青柳総本家」。
蒸し羊かんからはじまり、その数年後には、ういろうの製造も開始しました。昭和後期になると、時代に合わせてそれまで棹状が当たり前だったういろうの小分けサイズの商品を発売。今では名古屋の定番土産のひとつとして知られる「青柳ういろう」は、デパ地下はもちろん、駅構内やスーパーなど身近なところでも販売されています
職人の手でもくもくと湯気が立ち込めるなか、じっくり一時間かけて蒸しあげるういろう。国産米粉を使用した、もっちりとしたやさしい食感と上品な甘さが特徴です。
現在の三重県津市出身で果樹園を経営していた赤塚安次郎は、生産する柿の評判が良かったことから「柿屋の安さん」と呼ばれていました。これが「柿安」という名前の由来とのこと。
安次郎は、東京で牛鍋屋が繁盛していると聞き、文明開化の初期である明治4年(1871年)、東海道の宿場町だった三重県桑名川岸町(現在の桑名市)に牛鍋店の創業を開始。おいしさを追求し、試行錯誤を重ねて、現代に引き継がれる最高級品質の柿安牛をつくり上げました。
明治40年(1910年)に果物商として創業した紀ノ国屋。昭和23年(1953年)には、自身で商品を選びレジで精算する形のスーパーマーケットを日本で初めて開業するなど、常に時代の先駆けになるような新しい商品やサービスを導入し、スーパーマーケットの可能性を広げ続けています。
現在食べられている西洋りんごが、日本にやってきたのも明治8年(1875年)。アメリカから75品種の苗木を輸入し全国に配布、栽培がはじまったそうです。
明治2年(1869年)、横井清七が「東鮓」として創業。明治15年(1882年)に二代目清次郎が家業を継承し、社名も今の「東鮓本店」となりました。お米はもちろん、砂糖、酢、塩、だしの素材はもちろん配合にもこだわり、絶妙な配分も創業百十余年の経験によるもの。創業以来のシャリの味を味わってみたいですね。
お寿司の歴史は古く、奈良時代ごろ日本に伝わった「熟鮓(なれずし)」と呼ばれる発酵食品が寿司の起源であると言われています。江戸時代後期に握り寿司が考案されましたが、明治30年以降、製氷産業が盛んになり、漁法や流通の発展とともに、それまで扱えなかった生の刺し身が、握りにもつかわれるようになっていきました。
名古屋コーチンは、愛知県を代表する地鶏ブランド。その誕生は明治時代にさかのぼります。明治時代半ば、元尾張藩士である海部兄弟が、尾張地方の地鶏と中国から輸入されたバフコーチンを掛け合わせ、卵肉兼用種として生まれたのが名古屋コーチンです。
その名古屋コーチンでお馴染みの「さんわ」のはじまりも、明治時代でした。明治33年(1900年)、名古屋市西区鹽町十丁目に米穀、及び雑穀、飼料商として伊藤和四五郎商店を創業し、配合飼料の製造とともに、養鶏・資料配合方法の普及も行い、日本における完全配合飼料の基礎を築きました。
昭和に入り、養鶏事業も開始し、名古屋コーチンをはじめ8万羽の鶏を育成。当時のさんわ農場は、東洋一の規模まで発展しました。
厚釜でじっくり煮込んだ若鶏は、骨から簡単に身が外れる柔らかさ。コラーゲンがたっぷりな手羽先は、皮もぷるぷるで箸でほぐせます。鶏肉専門店がつくる、こだわりの一品です。
明治22年(1889年)に横須賀(現在の愛知県東海市)にて坂角総本舖を創業。創業者の坂 角次郎は、江戸前期より伝わる「えびはんぺい」に着目し工夫を重ね、「ゆかり」の原形となる「生せんべい」を完成させました。当時は、生せんべいの生地を火鉢で焼き、しょうゆをつけて食べるスタイルでした。
味や姿はさらに進化し、昭和41年(1966年)に「ゆかり」と命名。伝統の技と古くから大切にされてきた心を時代に合わせて守り継いでいます。
豊かな海で育った厳選された天然海老の海老の頭と殻を取り除き、身だけを使用した「ゆかり」。海老をたっぷりと贅沢に使っているので、旨みや甘みが際立ちます。
ドイツ人菓子職人のカール・ユーハイムは明治42年(1909年)、ドイツの租借地だった中国の青島市でジータス&プランベックが経営する喫茶店を譲り受け、23歳にして独立し創業しました。その後、第一次世界大戦時に攻めた日本軍の捕虜となり来日。大正8年(1919年)、広島県物産陳列館で日本ではじめてバウムクーヘンを焼き上げました。
一層一層しっとりとしたスポンジが重ねられ、ホワイトチョコレートでコーティングされた見た目は美しく、上品で自然な甘さが特徴のバウムクーヘン。質の高い材料を用い、職人の技術と手間ひまによって、食品添加物を使わないお菓子づくりを実現しています。
明治45年(1912年)創業、100年を越える老舗の小ざくらや一清。名古屋に古くから伝わる伝統的な和菓子や、小ざくらや一清らしい新しい感覚を取り入れた創作和菓子など、豊富な品ぞろえが魅力。
創業から長年に渡り、日本の伝統と言われる干菓子を主につくり続けてきたからこそ生み出せる干菓子は、落雁・ゼリー・種物・和三盆・すわま・松露などを使用し、味はもちろん彩りも美しく目でも楽しませてくれます。
季節のフルーツを透明感のある特製羽二重餅で丸ごと包み、ほどよい酸味と糖度のバランスが絶妙なフルーツ大福シリーズ「おほほっ」。厳選されたフルーツは、みかんやマスカット、いちじく、さくらんぼ、いちごにミニトマトまで種類も豊富。口に入れた瞬間、一気にフレッシュな果汁が溢れ出します。
今回は、デパ地下で出会える明治時代にルーツのあるグルメをご紹介いたしました。普段何気なく食べていた昔から馴染みのある商品も歴史を調べてみると、明治を感じられるものがまだまだたくさんありそうです。
記者
メイジノオト編集部
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