アイドルとオタク文化のルーツをたどる

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カルチャー

2021/08/13

アイドルとオタク文化のルーツをたどる

いずのうみ

記者

ライターいずのうみ

今の日本では文化として根付いたとも言える「オタク文化」。実は、そのルーツをたどると明治時代にまでさかのぼります。

日本では昭和以降、数々の国民的アイドルが誕生しています。ステージで歌って踊る「アイドル」に熱狂する「オタク」たち。アイドルのCDやグッズを買い、イベントがあれば遠征も辞さない熱意は、すべて「推し」を応援するためでしょう。

今回は、明治時代に既に誕生していたアイドル的な存在、娘義太夫とそのオタクたちについて紹介していきたいと思います。 

娘義太夫・女義太夫(むすめぎだゆう・おんなぎだゆう)とは

明治時代の雑誌に掲載されている娘義太夫の挿絵

明治時代には、三味線に合わせて義太夫節を語る「娘義太夫・女義太夫」が大流行しました。義太夫(節)とは、江戸時代前期に大坂の竹本義太夫がはじめた浄瑠璃の一種。

浄瑠璃は三味線を演奏する三味線方と、三味線に合わせて物語を語る太夫(たゆう)によって演奏されます。

娘義太夫・女義太夫は「義太夫」の女性の語り手を指し、明治時代に人気を博した芸能のジャンルで、現在では「女流義太夫」と呼ばれています。

風俗画報に掲載された娘義太夫の挿絵

明治時代に発行された社会風俗を解説する雑誌『風俗画報』にも娘義太夫がたびたび取り上げられているほか、娘義太夫に関するコラムも掲載されていることから人気の高さが伺えます。

娘義太夫は15〜6歳の若い女性が多く、豊竹呂昇(とよたけ ろしょう)や竹本綾之助(たけもと あやのすけ)が絶大な人気を誇りました。ビートたけしさんの祖母・竹本八重子さんも娘義太夫だったとか……。

舞台ではライブのコールも!?
女義太夫のオタク「堂摺連(どうするれん)」

娘義太夫に思いを馳せ何も手がつけられないほど堕落してしまった男性ファンの様子

娘義太夫が大流行する一方で、娘義太夫を応援する熱狂的なファンも増えていきます。

義太夫の内容が佳境にさしかかると、客席のファンから「どうする、どうする」と掛け声があがったことから、熱狂的なファンは「堂摺連(どうするれん)」と呼ばれていました。

まるで現在で言うライブの「コール」にも似た状況が明治時代に生まれていたのです。そして、特に激しいファンは手拍子を打ち、茶碗の底を擦り合わせて騒ぐほど熱狂的だったとも言われています。

堂摺連(どうするれん)について書かれた雑誌のコラム

また、熱狂的なファンの行動はエスカレートしていき、娘義太夫が演じる最中に簪(かんざし)が落ちれば争奪戦がはじまったり、別の寄席に移動するときには娘義太夫が乗った人力車をファンが追いかけてついて行ったなどのエピソードも残っています。

人力車を追いかけるほどの熱狂的なファンは「追駆連(おっかけれん)」とも呼ばれ、現在の「追っかけ」の語源とも言われています。

文豪たちも娘義太夫オタクだった

明治時代に多くの人を魅了した娘義太夫は、著名人の心も掴んでいました。
特に夏目漱石や高浜虚子、志賀直哉など数々の名著を遺した文豪も娘義太夫のオタクだったと言われています。

夏目漱石『行人』

夏目漱石の長編小説『三四郎』や『行人』の中でも娘義太夫に関する記載が登場しています。ここでは、『行人』に登場した娘義太夫に関する部分を抜粋しました。

夏目漱石『行人』

❝仕方がないから「佐野さんはあの写真によく似ている」と書いた。「酒は呑むが、呑んでも赤くならない」と書いた。「御父(たごう)さんのように謡(うたい)をうたう代わりに義太夫を勉強していそうだ」と書いた。最後に岡田夫婦と仲の好さそうな様子を述べて、「あれ程仲の好い岡田さん夫婦の周旋だから間違いはないでしょう」と書いた。❞

夏目漱石『行人』

❝自分は彼女の後ろ姿を見て笑い出した。兄は反対に苦い顔をした。

「二郎お前が無闇に調戯(からか)うからいけない。ああいう乙女にはもう少しデリカシーの籠もった言葉を使ってやらなくては。」

「二郎はまるで堂摺連(どうするれん)と同じことだ」と父が笑うような嗜めるような口調で言った。母だけは一人不思議な顔をしていた。

また、志賀直哉は日記にもたびたび娘義太夫への思いを綴っていました。志賀は豊竹昇之助の大ファンで、匿名でファンレターを送ったりポスターを部屋に貼ったり、知人の葬儀のあとにも舞台へ通うなどのエピソードが残されています。オタク仲間と推しについて語り合うこともしばしばあり、現在のアイドルオタクとも共通する行動をしていたようです。

呉服座(くれはざ)は明治時代のコンサートホール!?

新富座の錦絵

明治村には明治時代の芝居小屋「呉服座(くれはざ)」があります。

大阪の池田市に建っていた呉服座では、地方巡業の歌舞伎をはじめ、壮士芝居、新派、落語、浪曲、講談、漫才などさまざまなものが演じられていました。娘義太夫もこうした芝居小屋で演じられていたのではないでしょうか。

呉服座の舞台と客席

舞台を見上げる升席は傾斜が設けられ、後ろの席からも見やすくなっています。そして客席と舞台の距離がとても近く、娘義太夫はまさに「会いに行けるアイドル」的な存在だったのでしょう。

呉服座には花道や廻り舞台もあり、当時の大衆の遊び場を肌で感じることができますよ。

INFORMATION

呉服座(重要文化財)

所在地

〒484-0000 愛知県犬山市内山1

公式サイトURL

https://www.meijimura.com/sight/%e5%91%89%e6%9c%8d%e5%ba%a7/

Writer

いずのうみ

記者

ライターいずのうみ

愛知県名古屋市在住のライター・編集者。コピーライター3年、広告代理店でメディア編集者3年を経て、現在はフリーランスとして活動しています。これまでに金融やSDGs、ファッション、美容などさまざまなジャンルのメディアを担当してきましたが、グルメと旅行のジャンルが最も得意です。趣味は国内旅行(47都道府県制覇!)、読書、お酒。犬と猫を飼い、毎日楽しく過ごしています!