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日本の鉄道の幕開けは150年以上前の明治時代!どのように全国へ広まった?

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2023/05/28

日本の鉄道の幕開けは150年以上前の明治時代!どのように全国へ広まった?

いずのうみ

記者

ライターいずのうみ

通勤・通学や旅行の際に、多くの方が鉄道を利用するのではないでしょうか。いまや私たちの日常生活に欠かせない鉄道ですが、日本で初めて走行したのは明治5年(1872)年、今から150年以上も前のことです。

日本で初めて鉄道が開通したのは、新橋駅-横浜駅間の29km。その後、東京をはじめ関西や北海道、東海と全国へ鉄道が普及していき、明治末期までにはほぼ全国の幹線網が完成しました。

現在、初めて鉄道が開通した明治5年(1872年)10月14日を記念し、この日を「鉄道の日」と制定されています。

今回は、私たちの暮らしを支える鉄道が、日本でどのように生まれ、全国へ展開していったのかをご紹介します。

明治5年、新橋-横浜間で日本初の鉄道が開通!

明治政府が誕生した1868年の翌年、新政府は鉄道の建設を決定しました。これは、政治制度の全国的統一や軍事力の強化、近代諸産業の育成など、いわゆる「富国強兵」や「殖産興業」の政策を推進するために、鉄道が陸運の重要な輸送手段・近代化の象徴になると考えたためです。

日本初となる鉄道建設計画では、東京と京都を結ぶ幹線と、東京・横浜間、京都・神戸間及び琵琶湖畔から敦賀までの3支線、計4つの路線の鉄道を建設する内容でした。しかし、鉄道建設にあたって技術や資材、資金が足りなかった当時の政府は、まずは首都東京と港がある横浜の間、29kmをモデルケースとなる区間として建設することに決定。工事は、1870年4月から開始されました。

鉄道の建設は、イギリスから資金や技術力の援助を受け、エドモンド・モレル氏をはじめとする鉄道建設技師による指導・監督のもとに工事が進みます。全線29kmのうち、1/3にあたる約10kmが海上線路となったため、海を埋め立てたり海上に堤を築いたりする必要もあり、工事は簡単ではありませんでした。しかし、着工から2年後の明治5年(1872年)の6月には品川-横浜間の24kmが仮開業。徐々に本数を増やしたり距離を伸ばし、10月14日に開業式が行われました。日本で初めての鉄道が開通したのです。

東京を皮切りに
全国で鉄道の建設工事がスタート!

新橋-横浜間の開通を機に、鉄道の建設は東京以外の地域でも続々と開始されました。しかし、明治10年(1877年)の西南戦争後の政府の財政難により、新規建設は東海道線などを除き、ほとんどが停止してしまいます。

そんな中で生まれたのが、民営の鉄道会社である「私鉄」です。明治14年(1881年)、政府の保護を受けた半官半民の会社として、日本で初めての私鉄・日本鉄道が設立されました。その後、東京-青森間で特許を得た民間企業が参入したことが刺激となり、鉄道建設ブームが起こります。「日本鉄道」「北海道炭礦鉄道」「関西鉄道」「山陽鉄道」「九州鉄道」を合わせて「明治の五大私鉄」と呼ばれています。

また、愛知県全域と岐阜県の一部を網羅的に運行している「名古屋鉄道」も明治時代に創設された私鉄会社の一つです。明治27年(1984年)6月25日に名古屋駅(笹島)と市街地を結ぶ交通機関「愛知馬車鉄道」が設立され、後に名古屋鉄道となりました。

私鉄の参入もあり、明治時代には日本各地で鉄道建設がさかんに行われたのです。

関西地方の鉄道

関西で初めて鉄道が開通したのは、明治7年(1874年)の大阪-神戸間です。しかし、このときは仮開業として扱われたため、開業式が行われたのは明治10年(1877年)に京都駅まで延伸したときでした。

その後、明治18年(1885年)に関西経済界の重鎮である藤田伝三郎氏・松本重太郎氏らが発起人となり阪堺鉄道を設立し、難波駅-大和川駅(後に廃止)間を開業。現在は南海電気鉄道で南海本線の一部となっていますが、阪堺鉄道は純民間資本として現存する最古の私鉄とされています。

明治26年(1893年)には神戸工場で日本初の国産蒸気機関車とされる860形タンク機関車が製作され、2年後の明治28年(1895年)には、京都電気鉄道株式会社が日本初となる電気鉄道の営業路線を開通させました(東洞院塩小路~伏見油掛間)。

北海道の鉄道

北海道で初めて鉄道が建設されたのは、明治13年(1880年)11月、小樽市手宮-札幌間の35.9kmでした。その2年後の明治15年(1882年)には、札幌-三笠市幌内間が完成し、幌内鉄道が開業。

北海道の鉄道は、北海道の開拓を語るうえで欠かせない存在です。石炭や硫黄、木材などの建築資材に加え、農・水産物、肥料などの貨物、軍事物資を輸送するために北海道の各地に鉄道が敷かれ、当時の基幹産業となった石炭産業を大きく支えました。

明治35年(1902年)には北海道鉄道が開業し、2年の間に函館-小樽間が開通。さらに官営幌内鉄道と北海道鉄道が明治38年(1905年)につながり、函館-札幌間が開業しました。函館から小樽・札幌・旭川を結ぶ函館本線は、戦前まで本州から最短・最速で稚内までを結ぶ鉄路の一部を担い、とても重要な幹線だったのです。

東北地方の鉄道

東京と東北地方を結ぶ鉄道は、日本鉄道会社により建設されました。日本鉄道会社は、明治14年(1881年)に上野-青森間の鉄道建設を目的とした日本で初めての私鉄会社です。

明治16年(1883年)に、初の路線となる上野駅-熊谷駅間を開業。その8年後の明治24年(1891年)には、現在の東北本線にあたる上野駅-大宮駅-仙台駅-青森駅間をすべて開通させることとなりました。

また、明治14年(1885年)に開通した前橋駅-赤羽駅-品川駅のルート(現在の高崎線・赤羽線・山手線)は、官営鉄道の品川駅-横浜駅と合わせて、当時の主要輸出商品(生糸や絹織物)の産地と輸出港を結ぶ路線となり、鉄道による産業発展に大きく貢献しました。

その後、大正14年(1925年)に山手線の環状運転が開始されたときに建設された東京駅-秋葉原駅間の路線も東北本線に組み込まれ、営業距離が739.2kmとなり、東北本線は日本最長の路線となったのです。

東海地方の鉄道

東京と大阪を結び、日本の鉄道・物流の大動脈となっている東海道線は、明治22年(1889年)に新橋駅-神戸駅の全線が開通しました。

当初の予定では、熱海-草津(滋賀)間は中山道経由が想定されていました。これは、東海道沿いは海に近く海運が盛んなため運賃の高い鉄道はあまり使用されないという懸念や、外国の攻撃を受けやすいという陸軍の強い反対があったためです。しかし、明治16年(1883年)に高崎駅-大垣駅間の建設が始まってみると、山岳地帯は難所が多く工事が難航したことから、東海道へルート変更がされました。

この東海道線の全線開通により、日本初の鉄道建設計画の予定線すべてが完成に至りました。それまでは、江戸から京都まで東海道を利用すると、平均11泊12日掛かっていた工程が、たった1日に短縮されたのです。

ちなみに、東海道開通当時の名古屋駅は現在の場所ではなく、沼地と田んぼであった笹島に建設されました。開業当初は「笹島停車場」とも呼ばれ、広小路通を笹島へ結ぶ工事も急ピッチで行われたようです。その後、明治31年(1898年)に名古屋電気鉄道が開業。京都に次いで国内2番目となる市内電車が広小路(笹島ー県庁前間)を走ることとなりました。

明治村では当時の機関車や鉄橋を間近で見られる!

明治村には、明治時代に造られたアメリカ・ブルックス社製の機関車や、日本初の複線用鉄橋の「六郷川鉄橋」が保存・展示されています。実際に使われていたため、間近で見たりふれたりすると当時の雰囲気を感じられるかもしれません。

さらに、明治時代から走り続ける蒸気機関車に乗ることも可能。明治時代の建物や風景の中を機関車で駆け抜ければ、まさにタイムスリップしたような気分を味わえますよ。

 

▼出典

・国土交通省「日本鉄道史」

・JR西日本BlueSignal「大阪駅進化論」

・北海道鉄道活性化協議会「北海道の鉄道開業の歴史」

・名古屋鉄道「120年の軌跡」

 

▼インフォメーション

尾西鉄道蒸気機関車1号

六郷川鉄橋

蒸気機関車12号・9号・三等客車

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いずのうみ

記者

ライターいずのうみ

愛知県名古屋市在住のライター・編集者。コピーライター3年、広告代理店でメディア編集者3年を経て、現在はフリーランスとして活動しています。これまでに金融やSDGs、ファッション、美容などさまざまなジャンルのメディアを担当してきましたが、グルメと旅行のジャンルが最も得意です。趣味は国内旅行(47都道府県制覇!)、読書、お酒。犬と猫を飼い、毎日楽しく過ごしています!