記者
ライターいずのうみ
2022/03/05
記者
ライターいずのうみ
私たちは日ごろ、体調が良くないときには薬局・ドラッグストアで気軽に薬が購入できます。
風邪薬、胃腸薬、鼻炎薬、サプリメント、湿布……
さまざまな種類の医薬品・医薬部外品がありますが、明治時代に発売され長い歴史を持つ薬があるのをご存知でしょうか。
その中には、多くの人が使ったことがある、目にしたことがある有名なものも。
今回は、意外と知られていない、明治時代に誕生した薬をご紹介します!
1.仁丹(森下仁丹)|明治38年〜
仁丹瓶入
銀色の粒と大礼服マークが特徴的な仁丹(じんたん)は、森下仁丹が明治38年(1905年)に発売を開始しました。
発売当初はベンガラでコーティングされた大きな赤い丸薬で、銀箔で包む銀粒仁丹に進化したのは昭和4年(1929年)。
仁丹は桂皮や薄荷脳(はっかのう)など16種類の生薬を配合して丸めたもので、厳しい品質管理がされているため1粒作るのにおよそ8日もの時間がかかるそう。
創売当時の1粒出しケース(明治38年)(画像:森下仁丹株式会社)
仁丹は口中清涼剤として販売されており、効能は口臭、二日酔い、乗物酔い、吐き気などが挙げられます。
仁丹の味は、生薬特有の苦味と香りがありますが、メントール・ペパーミントのスースーする清涼感でカモフラージュされます。
現在は口中清涼剤として販売されていますが、戦後までは総合保険薬として販売されていました。
2.正露丸(大幸薬品)|明治35年〜
正露丸(画像:大幸薬品株式会社)
大幸薬品の「正露丸」は「ラッパのマーク」でおなじみの胃腸薬。日露戦争直前の明治35年(1902年)に製造販売が開始されたことがはじまりです。
商品名が「忠勇征露丸」だったころのパッケージ(画像:大幸薬品株式会社)
当時は「露(ロシア)を征する」の意味が込められ「忠勇征露丸」と表記されていました。第二次大戦後、「征」から「正」へ変更され現在にいたります。
日局木(にっきょくもく)クレオソートを主成分とする正露丸は、特に食あたり、水あたり、消化不良などの食べ物・飲み物が原因で起こる軟便や下痢、またストレス・かぜなどの原因で起こる軟便や下痢に効き目があるとされています。
「正露丸」の独特なニオイが苦手な人は、セイロガン糖衣Aがおすすめです。
3.龍角散(株式会社龍角散)|明治4年〜
龍角散(画像:株式会社龍角散)
「ゴホン!といえば龍角散」のキャッチフレーズで多くの人に親しまれている「龍角散」は、秋田藩の御典医であった藤井玄淵が藩主のために創薬した家伝薬がルーツとされています。
明治維新の廃藩置県により秋田藩の御典医を務めた藤井家へその家伝薬が下賜され、明治4年(1871年)に「龍角散」の名前で一般向け薬として販売したことがはじまりです。
その後、明治26年(1893年)に藤井得三郎が「龍角散」の微粉末状の製剤を完成させ、藤井得三郎商店を開業。
昭和39年(1964年)に株式会社龍角散と改称し、現在にいたります。
昭和10年ごろの龍角散(画像:株式会社龍角散)
「龍角散(微粉末)」は水なしで服用し、のど粘膜に直接作用することが特徴です。
有効成分はすべて生薬の成分で作られており、咳、痰、のどの炎症による声がれ・のどの痛みなどに高い効果を発揮します。
現在は微粉末だけでなく、顆粒タイプの「龍角散ダイレクトスティック」やトローチタイプの「龍角散ダイレクトトローチ」も展開しています。
また、のど飴やタブレット、服薬補助ゼリーといった食品も販売しているので見かけたことがある人も多いはず。
龍角散の名前は、初期の処方に「龍骨」「鹿角霜」「龍脳」などの生薬が使われていたことに由来しますが、現在の龍角散にこれらの生薬は含まれていません。
4.命の母A(小林製薬)|明治36年〜
命の母A(画像:小林製薬株式会社
「命の母」は、ホルモンバランス・自律神経の不調による諸症状に悩む女性のための薬です。
体の弱い母をもつ笹岡薬品の創始者・笹岡省三が「病に悩む女性を助けたい」という想いから開発し、明治36年(1903年)に発売を開始。
笹岡薬品株式会社が製造・販売を行ってきましたが、2005年から小林製薬が販売元となりました。
命の母初期パッケージ(画像:小林製薬株式会社)
昭和後期には、命の母にビタミンを配合した「命の母A」が登場。現在は、更年期障害のための「命の母A」、生理の不調の治療薬となる「命の母ホワイト」、更年期後の肩こり・腰痛などに作用する「命の母アクティブ」など、症状ごとに商品が分かれています。
「命の母」は、明治時代からさまざまなストレスや不調を抱える女性に寄り添い、進化を続けてきた薬と言えますね。
5.ロート目薬(ロート製薬)
画像:ロート製薬株式会社
ロート製薬は、国内の目薬で4割を超えるシェアを誇ります(2020年時点)。
ロート製薬の前身である信天堂山田安民薬房は明治32年(1899年)に創業し、当初は胃腸薬を販売。
しかし、日露戦争後にトラホーム(結膜炎の一種)が流行したことで目薬の需要が高まり、明治42年(1909年)に点眼薬「ロート目薬」を発売しました。
明治時代に発売されたポンプ式点眼薬「ロート目薬」(画像:ロート製薬株式会社)
現在は「Cキューブ」や「リセ」、「アルガード」、「V・ロート」などを筆頭に、20を超える目薬のブランドを展開。
デジタル化が進み目の疲労・ドライアイが深刻化する私たちの目を癒してくれています。
日本で薬の科学的な研究開発がはじまったのは明治時代に入ってからです。明治に入ると、西洋の医学・薬学が本格的に導入されたことや、外国へも渡りやすくなったことなどが背景となっています。
また、ヨーロッパでは細菌学がはじまり、化学・医学・薬学の分野でも大きく変化する時期でもありました。
ペスト菌を発見した北里柴三郎や、黄熱病や梅毒の研究で名を博した野口英世らが活躍したのも明治時代です。
今回紹介した仁丹や正露丸などをはじめ、戦争が機となり一般に販売された薬も少なくありません。
当たり前に買える身近な薬も、調べてみると長い歴史があったり誕生した経緯がユニークだったりと、新たな発見があるかもしれませんよ。
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ライターいずのうみ
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