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重要文化財 / 建造物

名古屋市の中心部、堀川の近くにあった町家です。東松(とうまつ)家は明治20年(1887)代後半までは油屋を生業としており、その後は昭和のはじめまで堀川貯蓄銀行を営んでいました。
塗屋造りという江戸時代から続く伝統工法を用いられているこの建物は、間口4間(約7.27m)、奥行き8間半(約15.4m)、切妻造りの屋根をのせた3階建て。間口が狭く奥行きの深い造りは、町家建築の典型そのものですが、創建以来、何度も増改築を繰り返しました。もともと江戸末期には平屋だった建物を、明治28年(1895)に後方へ曳いて移動させたうえ、2階の前半分を増築して現在の店構えに。さらに明治34年(1901)、3階より上の部分を増築したとされています。

東松家住宅

建造物

知多半島の港町に建てられた風呂屋。1階奥の浴室に置かれた浴槽は男湯と女湯がつながっていて、目隠しだけで仕切られています。銭湯は江戸時代以来、地域の社交場として欠かせない存在で、湯上がりの常連客などは、2階に上がって雑談に時を過ごしました。表構え、番台などに江戸時代の湯屋のおもかげをとどめています。

半田東湯

建造物

山形県天童市の倉津川に架けられた石造アーチ橋。もともとの名は多嘉橋(「高橋」の表記とも)。幅7.7m、長さ13.3mの規模で、地元産の山寺石を積んで造られました。
日本のアーチ橋は、江戸初期に建造が始まり、長崎の眼鏡橋などが有名です。中国から伝来した技術が用いられたため、九州地方に多く架けられました。明治に入ると、欧米の技術も取り入れられ、各地で見られるようになりました。東北地方のアーチ橋は、当時の県令であった三島通庸による土木政策からも大きな影響を受けました。長崎の眼鏡橋が湾曲した床面を持つのに対し、この橋は、ローマの水道橋のような水平な床面になっています。

天童眼鏡橋

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