記者
ライター安田淳
2022/12/05
神社やお寺を詣でる際、「おみくじ」を引くのを楽しみにしている方も多いのではないでしょうか。
そもそも「おみくじを引く」とは、「物事をはじめるにあたって、まず神仏のご意思を仰ぐ」という、宗教上の行為なのかもしれません。そうは言うものの、おみくじを開くまではハラハラドキドキ。吉だ凶だとついつい結果に一喜一憂してしまうのは、人の性というものでしょう。
ところで、「おみくじ」はいつの時代から人々に親しまれているのでしょうか?そして、現在のように多くの神社でおみくじを引けるようになったのはいつから?ちょっとだけ深く考えてみます。
南北朝時代から室町時代の初頭あたりに、「天竺霊籤(てんじくれいせん)」が中国より入ってきたことが、おみくじの歴史を紐解く上で重要な出来事となります。これは平たく言うと「中国の古いくじ」。
これをベースに平安時代の天台宗の僧・元三大師が、日本のおみくじの基となる「元三大師百籖(がんざんだいしひゃくせん)」を作り上げるのです。
江戸時代に、この元三大師百籖が大流行!運勢や吉凶を漢詩に詠んだもので、現代のおみくじとほぼ同じ様式でした。名称は異なるものの、神社のおみくじも元三大師百籖を使っていたようです。
時は明治時代に移り、新政府が慶応 4 年(1868)3 月 13 日に「神仏分離令」を出します。神社としては仏教を起源としたおみくじを使えなくなってしまい、神社独自のおみくじを開発する機運が高まります。お寺は漢詩、神社は和歌がおみくじに載せられることが多くなりました。
「お寺のおみくじと比べて、神社のおみくじのほうがわかりやすい」と感じることがあるのは、神社のおみくじは明治時代に一度作り直されているからでしょう。
日本にはおみくじを作っている会社が数社ありますが、トップシェアを誇っているのが山口県周南市にある「女子道社」。実は神社のおみくじに和歌が載せられるようになった経緯を辿ると、この「女子道社」の存在に行き着きます。
山口県にある二所山田神社(にしょやまだじんじゃ)の宮司・宮本重胤(みやもとしげたね)は、まだ男尊女卑の風潮が強く残っていた明治の世に、女性の自立のための全国組織「大日本敬神婦人会」を設立。
明治49年(1907)には、女性解放運動を推進する機関誌『女子道』を発刊します。その資金を捻出するため、和歌を載せたおみくじを作りはじめました。
明治39年(1906)にはおみくじの自動販売機を開発するなど、おみくじ文化を現代に近いものに変えたのも実はこの「女子道社」と言えそうです。
現在でも地域の女性たちが中心になり、おみくじの紙を切ったり折ったりを手作業で行っています。同社のおみくじのシェアは、なんと全国の6~7割というから驚き!意識をしないうちに、「女子道社」で作られたおみくじを手に取っている可能性が高いのです。
普段何気なく引いているおみくじですが、歴史を知るとより興味深く感じられ、隅々まで読んでみたくなりますね。
記者
ライター安田淳
PICK UP