コンビニで出会える明治時代

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カルチャー 暮らし

2022/04/23

コンビニで出会える明治時代

安井弥生

記者

フォトグラファー安井弥生

2,000種類もの商品が扱われていると言われるコンビニ。新商品も次々と開発され、入れ替わりも激しいなか、昔から愛され続けるものもたくさん。今回は、明治時代にルーツがあるコンビニ商品を集めてみました!

読者のみなさんが手に取ったコンビニのおなじみの商品も「もしかしたら夏目漱石も手にしていたかも?」なんてロマンがありますよね?

 

「アサヒ」の清涼飲料水のはじまり「三ツ矢サイダー」|明治17年〜

明治17年(1884)、兵庫県多田村平野から湧き出た炭酸水をびんに詰め製造、「三ツ矢サイダー」の起源となる「平野水(ヒラノスイ)」が発売。「アサヒ」の清涼飲料水の歴史も、ここからはじまりました。明治42年(1909年)には、「三ツ矢シャンペンサイダー」が発売され、「三ツ矢サイダー」という通称で広告が展開されるようになり、世の中に浸透していきました。現在販売されているラベルにも、よく見ると「SINCE 1884」と書かれています。

画像:国立国会図書館 近代日本人の肖像「夏目漱石」より

 

明治の文豪「夏目漱石」は、度重なる胃の病に悩まされ、療養中に葛湯しか口にできなかった漱石が、ひと口ずつ飲ませてもらった「平野水」がどれほどうれしかったかと回顧する場面が、小説『行人』、エッセイ『思ひ出すことなど』で書かれています。

 

 

実は日本生まれの「ウィルキンソン」|明治37年〜

明治22年(1889年)頃、ジョン・クリフォード・ウィルキンソンが兵庫県宝塚で炭酸鉱泉を発見。前述の「平野水(三ツ矢サイダー)」を胃弱に悩まされていた夏目漱石が胃を労って愛飲していたなど、当時の日本では滋養としても炭酸水が親しまれていたそうです。

アサヒ飲料ホームページ「アサヒ炭酸ラボ」より

 

この「ウィルキンソン」も「胃腸を仁王の如く強くする」というコンセプトのもと、仁王像マークが使用され、 当初は、個人事業として「仁王印ウォーター」として発売されていました。その後、明治37年(1904年)、ザ クリフォード ウヰルキンソン タンサン ミネラル ウォーター有限会社を設立。「ウヰルキンソン タンサン」と名を変え、販売されるようになりました。

一見、外国からの輸入品からスタートしたもののように思えますが、「ウィルキンソン」が、実は日本からはじまったとても歴史がある商品だったということにも驚きです。

 

現在、日本で一般名詞のように使われる「タンサン」という発泡性の飲み物の総称も、実は「ウィルキンソン タンサン」の商品名から一般化したものだそう。

 

 

100年以上、日本の食卓で愛され続ける「カゴメケチャップ」
|明治41年〜

トマト自体、日本で食べられるようになったのは明治時代になってから。はじめて日本で栽培されたトマトはそのままでは食べられないほど青臭く酸味が強いものでした。海外では、トマトを加工して食べられていたことをヒントにトマトソースが作られ、ホテルやレストランで西洋料理が広く食べられるようになると、トマトソースが普及しはじめます。

今も名古屋市に本社のある「カゴメ」は、明治39年(1906年)に、最初の工場が愛知県東海市に建設され、「トマトソース」の製造が開始されます。

そして明治41年(1908年)、家庭でも味わえるトマトケチャップの発売が開始されます。今でも食卓に欠かせない「カゴメトマトケチャップ」は100年以上も前から続いているんですね。

 

 

世界初のうま味調味料「味の素®」|明治42年〜

明治41年(1908年)、昆布だしのおいしさの正体がアミノ酸の一種であるグルタミン酸という成分ということを発見し、この味を「うま味」と命名しました。その後、うま味調味料を開発することに成功し、明治42年(1909年)5月、世界初のうま味調味料「味の素®」が誕生しました。

この「味の素®」は、最初は「精味」のネーミングで売り出されましたが、「だしの元」「味の王」「味素」「味の元」などの候補の中から、「味の元」の「元」を「素」と改め、「味の素」と命名されたようです。

近年「うま味」は「UMAMI」として世界でも共通用語となり、世界的にも大きく注目を集めています。

 

 

日本ワインの歴史「赤玉ポートワイン」から生まれた「赤玉パンチ」
|明治40年〜

明治40年(1907年)に生まれた「赤玉ポートワイン」(現「赤玉スイートワイン」)。サントリーの創業者・鳥井信治郎は、当時のスペイン産の葡萄酒が酸味が強く日本人の味覚には合わなかったため、日本人に合う甘みのある美しい赤い色の葡萄酒を完成させました。赤玉は日の丸、太陽の象徴。「日本人のための葡萄酒」という強い思いをこめて名付けられました。ちなみに、ウイスキー等のブランド名として使われ、その後、社名にもなった「サントリー」も太陽(サン)で同じ由来を持つといわれています。「赤玉ポートワイン」は、当時、「蜂印香竄葡萄酒(はちじるし こうざんぶどうしゅ)」とシェアを二分していたそうです。

当時の「赤玉ポートワイン」
(画像提供:サントリーホールディングス株式会社)

蜂印香竄葡萄酒(はちじるし こうざんぶどうしゅ)
(画像提供:牛久市教育委員会 文化芸術課)

 

その国産ワインの歴史「赤玉ポートワイン」から派生した「赤玉パンチ」は、昭和生まれ。満足感のある甘さとスキッとした後味のワインサワーがおうちでも楽しめますよ。

 

 

石けんが当たり前になったのは明治後半のこと。
国産せっけん「花王石鹸」|明治23年〜

「花王石鹸」が、誕生したのは明治23年(1890)年。今、当たり前に存在する「せっけん」も明治時代では、高価な物か、安いけど品質の劣るもののどちらかしかありませんでした。

発売当初の「花王石鹸」も、ろう紙で包み桐の箱に収められた、中身も包装も高品質を追求したものでした。明治後半になると価格も下がり、ようやく庶民も洗顔や入浴、洗濯などに石けんを使えるようになったのです。そして、ほどなく「花王石鹸」は全国へ知れ渡るようになりました。

 

 

家族みんなで使えるスキンケアの王道「ニベアクリーム」
|明治44年〜

「ニベア」の誕生は、明治44年(1911年)。創業当時から、誰にでも買えるお手頃な価格で高品質のスキンケアクリームとして現在もファンも多い「ニベア」。「NIVEA」の名前の由来は、クリームが雪のように白いことから、ラテン語のnix(雪)、nivis(雪の)という単語からだそう。発売当初は全然違ったデザインだったものの、青い缶で親しいまれているパッケージも1928年からは、あまり変わっていません。

今回は、コンビニで出会える明治時代にルーツのある商品をご紹介いたしました。おうちの中やよく行くお店など、周りを見渡せばすぐそこに明治を感じられるものがまだまだたくさんありそうです。

INFORMATION

Writer

安井弥生

記者

フォトグラファー安井弥生

1978年愛知県生まれ。名古屋市在住のフォトグラファー。デザイン事務所、百貨店内写真室での勤務を経て、2017年よりフリーランス。企業や病院、雑誌やWEB用の人物や料理、商品などの撮影をしています。企業やフォトスクール、市民講座などでの講師経験もあり。一児の母。
趣味は旅行と読書。とくに東南アジアが好きで、愛読書は、沢木 耕太郎の「深夜特急」や小林 紀晴の「アジアン・ジャパニーズ」など。