秋と言えば… 

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歴史

2026/09/30

秋と言えば… 

明治村学芸員

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二十四節気にそえて 16

 

<秋分> 秋の彼岸の中日にあたる。昼夜の長さがほぼ等しくなる。(広辞苑)

 

秋は月

 

食欲の秋、読書の秋…、と秋から連想される言葉は数多くあります。月の満ち欠けが記載された手帳を愛用している私にとっての秋は、やっぱり「月」です。
今回は明治村で所蔵している田山方南筆の「月」をテーマにした掛け軸と赤十字関連資料を紹介します。

 

<田山方南とは>


「田山方南」という名前は初めて目にする方も多いのではないでしょうか。
茶道や書道に詳しい方ならば、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。まずは簡単にご紹介しましょう。
1903(明治36)年、三重県阿山郡大山田村(現 伊賀市)、川合松吟と蓮枝の子として誕生します。幼名は信郎(のぶお)。1916(大正5)年三重県立第三中学校(現 上野高校)入学、1921年同校卒業。その後、田山八十吉の養嗣子となります。翌年、金沢の第四高等学校入学し、のちに財団法人明治村理事長となる土川元夫とともに剣道部で汗を流しました。1925年、同校卒業、東京帝国大学文学部国史学科に入学。同級生に大久保利通の孫で後に歴史学者となる大久保利謙がいます。古文書学の大家・黒板勝美のもとで学び1928(昭和3)年、同校を卒業し、翌年、文部省国宝調査室に勤務。1965年に退官するまで、古文書・典籍・古写経・墨蹟等書跡関係の指定調査に力をつくしました。専門とする禪林墨蹟研究については、著書としてまとめ、その他陽明文庫・大東急記念文庫等をはじめとするコレクションの分類整理にもあたりました。
1966年からは財団法人明治村の理事として、特に明治村茶会の創設・運営に尽力。明治村だけでなく、多くの博物館美術館の運営にも貢献し、1980年、77歳で亡くなりました。

 

<松島の月>


明治村には、田山方南が集めた書跡や自身の書、友人知己の手紙や書などが役800点収蔵されています。その中に、田山方南の自画自賛の「松島の月」を描いた作品が残されています。
自画自賛という言葉はよく耳にするかと思います。今日では、「自分の行為を自分でほめる」という意味で用いられることが多いですが、もともとは、この作品のように自分で絵を描き、さらにその紙面に自分で言葉を寄せるものです。
この作品は、小島がぽつぽつと点在する海に浮かんでいる満月を墨で描き、「浩天碧海一色中 名月団々照孤窓」の漢詩とともに「於松島 旅士方南」と書かれています。
「於松島」と書かれていることから、この平和な海は松島であるとわかります。そんな松島に広がる夜空に浮かぶ中秋の名月。そして瑞巌寺でしょうか、お堂から一筋の光がスポットライトのように海面を照らし、波もなく穏やかなそして静謐な印象を受けます。
この作品を今から15年前の秋、明治村の秋の夜間公開で展示したことがありました。

 

<東北の海の記憶を未来へ>


「月」を描いた作品は他にも所蔵している中、この「松島の月」を選んだのは、理由があります。他でもない、その半年前に東日本大震災が発生したからです。
歴史はともすると、ある過去の「点」と考えられがちです。しかし、その点と点が線になり面となって今日へ、そして未来へと繋がっているものではないでしょうか。それを改めて思い知らされたのが、東日本大震災でした。
明治村では、数多くの赤十字の文書や写真などの関連資料を所蔵し、その中には戦時救護だけではなく、日本赤十字社が世界に先駆けて行った災害救護の記録が残されています。、1891年に岐阜県愛知県が大きな被害を受けた「濃尾震災」、そして1896年の「三陸大津波」も含まれています。
「三陸大津波」の記録には、日本赤十字社の救護員が現場に駆け付け、被災状況を確認し、迅速に救護所を開設するなどの、鬼気迫る状況や対応が詳細に記されています。


これらの資料は、単に調査するためだけのものではありません。「過去にこの土地で何が起きたのか」を後世に語り継ぎ、同じ悲劇を繰り返さないための教訓として、社会に伝え続けていくことに、真の意味があるのではないでしょうか。
静けさを湛えた「松島の月」の作品を見るたびに、そこにある平和な美しさとともに、赤十字資料が物語る災害の記憶を未来へ伝え、命を守る一助となることーそれが、これらの作品や資料を託された私たちの使命ではないかと、しかと心に刻んでいます。

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