明治の青春

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建築 歴史

2026/10/23

明治の青春

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二十四節気にそえて 17

<寒露> 夜が長くなり、露が冷たく感じられる頃。(広辞苑)

 

田辺淳吉と佐藤功一

 

今から40年前の1986年、明治村では建築家シリーズの展覧会「明治建築をつくった人々 その2」を開催しました(ちなみに「明治建築をつくった人々 その1」は前年の1985年に開催)。
その際に、長野宇平治・鈴木禎次・田辺淳吉・大熊喜邦・岡田信一郎の5人の建築家が取り上げられ、ゆかりの資料の数々が展示されました。
その際に発行された図録の中で、建築史家の藤森照信氏は辰野金吾・片山東熊・曽根達蔵・佐立七治郎に次ぐ「第二世代は〈自覚の世代〉といってもいいくらいに、自分のテーマをはっきり絞り、深く追求している」と述べ、その代表者として、上記の5人を挙げています。長野は「ヨーロッパ古典主義」、鈴木は「地方建築界育成」、田辺は「大正建築」、大熊は「官庁営繕」、岡田は「様式建築の鬼才」と評しました。

今回はこの展覧会開催にあたって、田辺淳吉のご遺族から寄贈された資料の中から、田辺と同級生・佐藤功一との交流を示すハガキをご紹介します。

 

<田辺淳吉>

(写真 田辺淳吉)

「田辺淳吉」の名前は、「誠之堂」「青淵文庫」「晩香蘆」など渋沢栄一関連の建物や大正10(1921)年竣工の東京会館の設計者としてご存知の方も多いのではないでしょうか。
田辺は1879年、東京の旧福山藩(父の出身地)阿部氏の屋敷内で誕生。
第一高等学校を経て、1903年に東京帝国大学工科大学建築学科卒業後、清水組(現 清水建設株式会社)に入社します。渋沢栄一の渡米に随行したのち、単独でヨーロッパを視察。1913年、清水組技師長となり、1920年に退社しました。翌年に恩師の中村達太郎と「中村田辺建築事務所」を開設しましたが、1926年に病気で亡くなりました。

 

<佐藤功一>

(写真 佐藤功一)

一方、佐藤は1878年、栃木県に大越東七郎の二男として生れました。1908年に佐藤茂八の養子となり、佐藤姓に改姓します。第二高等学校を経て、田辺と同じく1903年に東京帝国大学工科大学建築学科卒業。その後三重県技師を経て1908年宮内省に奉職します。
1909年に早稲田大学に建築学科予科が設置された際に招聘され、同大学建築学科の「生みの親」ともいえる存在です。代表的な作品には早稲田大学大隈講堂や東京市政会館などがあります。先の展覧会では、佐藤は取り上げられませんでしたが、藤森氏が佐藤を「早稲田教育」と評している所以です。

 

<丼会>

(写真 どんぶり会)

1903年に東京帝国大学工科大学建築学科卒業した同期には、田辺と佐藤以外に、耐震建築の権威・佐野利器や、先に藤森氏が「官庁営繕」として挙げた大熊喜邦らがいました。彼らは自らのグループを「丼(どんぶり)会」と名付け、親交を深めていました。
明治村で所蔵している田辺旧蔵のハガキ資料の中にも、丼会のメンバー間で交わされたものも残されています。
今回はその中から、イチオシの絵ハガキをご紹介します。

 

<佐藤の絵ハガキ>

 写真 佐藤家族はがき表裏

「絵ハガキ」といっても、絵や写真があらかじめ印刷された既成品ではありません。
1907年、佐藤が宮内省へ奉職する直前、葉山御用邸前で認めたとされる一枚です。
裏面には、佐藤自身が家族で食卓を囲んでいる様子を描いています。佐藤の書く文字は癖が強いものの、外国語や記号のように見え
「尓(に)」「候(そうろう)」の文字に慣れてしまえばとても読みやすいものです。そして何より、佐藤が添えた絵が、文字の読解を大きく助けてくれます。
田辺淳吉宛てに送られたハガキですが、文章は「御奥様へ」から始まり、自身の家族を紹介する形をとっています。ハガキの中央には「主人」である自分、その右側に妻、左側に子どもが描かれています。
「一家団欒飯をうまく喰う主義の家」と添えられているように、主人と妻が美味しそうにご飯を頬張っています。しかし、子どもはすでに食べ終えたのか、おやつ(?)の皿に手を伸ばしています。
続いてユーモラスな人物描写が始まります。主人は「顔面六角、眼すごく、頬に青髭、鼻の下にちょび髭」と。妻は「毛髪赤く(いわゆる茶髪)、腹部が大きい(妊娠中)」。三歳になる息子は「尖りたる頭、褐色の毛髪」と文章と絵で巧みに表現されています。
この時、田辺と佐藤はともに三十歳を目前にし、これからの人生に大きな夢を膨らませていた時期でしょう。気心の知れた友人同士だからこそ、ざっくばらんに互いの家族を紹介し合えたと思います。現代のように瞬時に連絡を取ることができなかった時代だったからこそ、このような遊び心にあふれたハガキを手にした時の喜びは、きっと心を豊かにしてくれたはずです。
明治村では、これからも当時の人々の息遣いが生き生きと伝わってくるような歴史資料をご紹介し、彼らが歩んだ歴史を広くお伝えしてまいりたいと思います。

 

 

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