記者
ライター山村 咲木
2024/05/19
記者
ライター山村 咲木
20世紀を代表する、アメリカ近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライト。
建築好きな人の中で、その名を知らない人は数少ないのではないでしょうか。フランク・ロイド・ライトは、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと並んで「近代建築の三大巨匠」と呼ばれているアメリカ人建築家です。
近代建築を語るのには欠かせない、今の建築界に大きな影響を与えた人物の一人なのです。
世界的に著名な建築家であった「フランク・ロイド・ライト」ですが、一体彼はどのような人物なのでしょうか。ここからは、ライトの経歴を辿っていきましょう。
・フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright、1867年6月8日 – 1959年4月9日)
フランク・ロイド・ライトは、1867年6月8日にアメリカ合衆国 ウィスコンシン州で牧師の父と元教師の母との間に第一子として誕生しました。
ライトは幼き頃、約5年間にわたりウィスコンシン州にある母方の農場で働いていました。自給自足をしながら、さまざまな「自然」と触れ合っていた少年時代のライト。
”人の生活と自然との調和”というライトならではの建築理念「有機的建築」を築くはじまりは、ここにあったのかもしれませんね。
ライトがなぜ建築家になろうと思ったのか。
それは、母アンナの影響が大きかったと言われています。ライトが生まれる前から彼を建築家にしたいという熱い想いを抱いていたアンナ。幼きころからライトは、アンナによってさまざまな英才教育を受けていました。
中でも有名なのが「フレーベルの積み木」。ドイツの教育者フリードリヒ・フレーベルが考案した積み木を与え、ライトの感性を伸ばしました。
才能で溢れるライトは、このように母の偉大なる愛を感じながら幼少期を過ごしていたのですね。
▼関連記事
明治村に新しい子育ち施設「つみきひろばGabe(ガーベ)〜フレーベルからのおくりもの〜」が誕生しました!
https://www.meijimura.com/meiji-note/post/gabe-open/
その後、両親の離婚などを経て成長したライトは、1885年にウィスコンシン大学マディソン校土木科に入学しますが、建築に興味を示していたため大学を中途退学。その後はシカゴに移り住み、建築家 ジョセフ・ライマン・シルスビーの事務所で仕事をはじめます。
しかし、わずか1年ほどでシルスビーの事務所を辞め、ダンクマール・アドラーとルイス・サリヴァンの2人が設立した建築事務所「アドラー=サリヴァン事務所」に移ります。ライトはここで建築家として多くのことを学びました。このルイス・サリヴァンという人物は、ライトが生涯にわたり尊敬し影響を受けた師匠であったと言われています。
そんなルイス・サリヴァンの下で、ライトの才能は直ちに開花され、住宅設計のほとんどの仕事を任せられるまでに成長を遂げます。
1893年になると、ライトが事務所以外で設計の仕事をしていたことがサリヴァンに知られ、事務所を退所することに。アドラー=サリヴァン事務所に勤めてから約7年の月日を経て、ライトは独立します。このときライトは、1889年に結婚したキャサリン・トビンとの間に6人もの子供を授かっており、生活は常に困窮していました。困窮の原因はそれだけではなく、ライトが車など贅沢品を好む傾向にあったため、それも相まって困窮に陥っていたと言われています。そんな厳しい生活をやりくりするために、独立後はより多くの建築設計を行なっていたのだとか。
個人事務所を設立してからはじめて手がけた建築が、シカゴ近郊にある「ウィンズロー邸」です。
初期の建築には、建物の高さを抑え水平線を協調したライトならではの建築スタイル「プレイリースタイル」と呼ばれる手法を確立。ここからライトは、数々の名作を生み出していくのです。
ライトの人生は、まさに波乱万丈であったと言われています。不倫や離婚、駆け落ちなどの女性スキャンダルは数多く、3度もの結婚を繰り返していた恋多き男でした。しかし、ライトがただ単純に色恋に走っていたというわけではありません。ライトはフェミニストや活動家などの女性たちと深く関わりを持っており、学問や芸術の分野で力を発揮していた魅力的な女性を選ぶことが多かったそうです。
それに加え、使用人による放火殺人事件でライトの建築事務所タリアセンは炎上し、そこにいたチェイニー夫人(ライトとともにヨーロッパ へ駆け落ちした恋人)とその子ども2人、事務所のスタッフ4人の計7人が惨殺されてしまう悲惨な殺人事件にまで見舞われるという壮絶な人生を歩んできたライト。
このようなさまざまな経験をし刺激溢れる生き方をしてきたからこそ、フランク・ロイド・ライトは一目置かれる建築作品を世に生み出すことができたのではないでしょうか。
92歳という生涯の中で、約72年にわたり建築家として活動していたライト。設計した建築物の数は1191件で、そのうち実際に建築として実現した数は400件を超えると言われています。
そんなライトの建築のほとんどは、母国アメリカに残されています。その中には、世界遺産となっている価値の高い建築も!ここからは、ライトの作品の中から筆者が厳選した建築物をご紹介していきます。代表作からレアな作品まで揃った5選をお届け!
1936年に、アメリカのピッツバーグ郊外でつくられた建築「落水荘(らくすいそう)」。アメリカの大富豪 エドガー・カウフマンが別荘としてライトに建築を依頼した住宅です。世界遺産リスト登録物件である「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群」の構成資産となっている、ライトの代表作のひとつ。
ライトを知る人には、圧倒的な美しさを誇る「落水荘」のファンだと名乗る人も数多くいるでしょう。この水平のラインが強調されたデザインは、ライト独自の「プレイリースタイル」を見事に表現しています。
ニューヨークにある「ソロモン・R・グッゲンハイム美術館」。ここはマンハッタンを代表するアートスポットとして知られており、ライトが手がけたユニークかつ印象的なデザインの建築はアッパーイーストサイドのアイコンとして愛されています。
中央部分には大きな吹き抜けがあり、らせん状のスロープが内部の空間を構成しています。フロアごとに仕切りがなく、廊下をぐるぐるとまわりながら作品を鑑賞することができる独創的なデザイン。
ここを訪れれば、空間を設計するライトならではのデザインを体感することができます。
アラバマ州フローレンスにある「ローゼンバウム邸」は、1940年に建てられた住宅です。ライトは一般的な家庭向けに低コストでコンパクトな住宅をいくつも設計しており、この住宅群のことを「ユーソニアンハウス」と名付けています。
そんなユーソニアンハウスの一つでもある「ローゼンバウム邸」。リビングには、壁一面にガラスの窓がついた開放的なデザインで、窓の外に広がる緑や大空が部屋と一体化するような魅力的なつくりになっています。
人の生活と自然との調和を図るというライトの建築理念「有機的建築」が、このデザイン一つとってもたくさん詰まっているように感じますね。
アリゾナ州立大学の「グラディ・ガメージ記念講堂」は、1959年ライトの死後に完成した公共建築です。ライトの代表作としてはなかなか日の目に当たらないレア建築ですが、ライトらしさが詰まった美しい建築です。
円形のドームのようなフォルムの外観には、扇形の頭飾りが連なって装飾された、ユニークで美しいデザイン。ところどころにライトらしさが散りばめられており、橙色の外壁や赤い煉瓦が夕日に照らされる瞬間は、まさに自然と融合する建築の姿そのもの。
アリゾナ州スコッツデールにある「タリアセン・ウエスト」。ライトが人生の最後に冬の別邸兼建築スタジオとして設計した、ライトの傑作として高く評価されている建築です。米国の歴史的建造物にも登録されているのだとか。
建築学校でもある「タリアセン・ウエスト」は、ライトの弟子も数多く住んでいたそう。アリゾナの砂漠の気候に合わせて設計されているのが特徴的で、砂漠の石を使った壁や褐色の煉瓦などまわりの風景と調和した色やデザインにライトらしさを感じます。
母国であるアメリカ大陸に数多くの建築作品を残してきたライト。しかし、ここ日本にもライトが手掛けた建築がいくつか残されているのです。
ここからは、国内に現存するライトの建築をご紹介します。
兵庫県芦屋市にある「ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)」は、1918年にライトによって設計されました。ライトの建築思想である、人の生活と自然が調和する「有機的建築」の姿を感じることができるデザインです。
1974年には大正時代以降の建築物、また鉄筋コンクリート造の住宅建築として初めて国の重要文化財に指定され、現在は世界遺産の追加登録候補にも挙げられています。
【ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)】
住 所 :〒659-0096 兵庫県芦屋市山手町3-10
電話番号 :0797-38-1720
駐車場 :あり
web :https://www.yodoko-geihinkan.jp/
東京都豊島区の西池袋にある「自由学園明日館」は、ライト初期の作風がよく表現された「プレイリースタイル」の代表的な建築。1997年には、国の重要文化財として指定されています。
【自由学園明日館】
住 所 :〒171-0021 東京都豊島区西池袋2-31-3
電話番号 :03-3971-7535
駐車場 :なし
web :https://jiyu.jp/
母国アメリカ以外で唯一、ライトの建築作品が現存するのは日本だけ。ライトの建築理念を実際に体感できる、そんな貴重なスポットを訪れてみるのはいかがでしょうか。
さきほどは国内に現存するライトの建築作品をご紹介しましたが、博物館明治村にもそのうちのひとつがあることをご存じでしょうか。
博物館明治村の5丁目67番地にある「帝国ホテル中央玄関」。ライトの代表作でもある帝国ホテルは、ライトが日本で初めてホテルの建築を手がけたことでも有名です。ここには、ライトが設計した旧帝国ホテルの中央玄関部分が移築保存されています。
ライトの建築に対する思想が隅々まで詰まった「帝国ホテル中央玄関」。
メインロビーの中央は3階まで吹き抜けとなっています。床や天井の高さに変化をつけながら、水平に、垂直に展開していく空間の演出は、見事なまでに美しい。
全体の設計から各客室にいたるまで、他にはないライトらしい空間がデザインされています。
柱や窓、照明など細部にもこだわり、自然光と照明の灯りの演出を楽しむこともできます。ライトがつくり出す光の空間は、格別な美しさです。
ライト独自の世界観にどっぷりと浸ることができる「帝国ホテル中央玄関」。
ライトファンの人はもちろん、建築が好きな人もそうでない人も、ぜひ博物館明治村にある「帝国ホテル中央玄関」へ足を運んでみてくださいね。訪れればきっと、ライトの魅力に魅了されるはずです。
▼インフォメーション
帝国ホテル中央玄関
今回はフランク・ロイド・ライトについてご紹介しましたが、いかがだったでしょうか。
ここで紹介したものは、彼が残した建築作品の中のほんの一部。中には世界遺産に登録されているものもあり、ライトの存在は建築界だけでなく世界中で評価をされていることがわかります。
ライトの建築は、今見てもどこか真新しくておしゃれな魅力がありますよね。そんなライトの建築哲学を学びに、まずは国内の作品から巡るのもおすすめですよ。
記者
ライター山村 咲木
PICK UP