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明治期の歌舞伎や落語、政治演説の舞台にも

呉服座

大阪府池田市西本町猪名川の川岸にあった芝居小屋。もとは池田市本町にあった明治7年創業の戎座を、明治25年(1892)に西本町へ移築したもので、このときに名称も「呉服座」と改められました。
構造は江戸時代から続く伝統建築の名残をとどめた、木造2階建ての杉皮葺き。舞台と客席部分には大きな切妻屋根を架け、その前に軒の高い下屋を降ろして入口にしています。正面の高い切妻には太鼓櫓(やぐら)を突き出し、入口下屋の軒下には、絵看板を掲げられる場所も。また正面の壁は黒漆喰塗りで、腰には和風の下見板が建て込まれています。出入口の扉は、裏面は和風の舞良戸(まいらど)ながら、表面には洋風の枠飾りなどがあしらわれており、目新しさを感じさせます。

建設年 明治25年(1892)
村内所在地 4丁目49番地
旧所在地 大阪府池田市西本町
文化財種別 重要文化財
指定年 昭和59年(1984)
解体年 昭和44年(1969)
移築年 昭和46年(1971)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    ポイント01|劇場らしい華やぎが薫る太鼓櫓や絵看板

    2階建て、屋根は杉皮葺き。舞台、客席部分にはひと続きになった大きな切妻屋根を架け、その前に軒の高い下屋を降ろして小屋の入口に。
    正面の高い切妻には太鼓櫓(やぐら)を突き出し、また入口下屋の軒下には絵看板を掲げています。

    ポイント02|裏方に隠されたさまざまな舞台仕掛け

    舞台の両側には囃子(はやし)部屋、舞台中央には人力のまわり舞台、また上空には道具方の作業場である葡萄棚(ぶどうだな)を組んでいます。

    客席は平場(平土間)と呼ばれ、桝(ます)席に区切られている中央の低い部分と、2階建ての棧敷(さじき)と呼ばれる周囲の部分で構成されます。2階桟敷の手すりは漆拭きで仕上げています。また平土間の天井は格天井で、鏡板は紙張り。もとの所在地での土地の制約により、楽屋は入口土間の上に造られています。

    ポイント03|劇場の床下を通る秘密の通路

    床下を通る舞台装置の奈落(ならく)は、舞台の袖から降りて、まわり舞台の下を通り抜け、花道を伝って入口近くの楽屋の下まで達しています。舞台道具を転換させる仕掛けのまわり舞台は、円周に沿って取り付けられた車と中心軸とで支えられています。

    このような芝居小屋では、楽屋は舞台の裏手などに設けられるのが通例ですが、この呉服座では入口の土間の上にあり、役者は奈落を通って舞台袖に行くようになっていました。

    ここでは地方巡業の歌舞伎をはじめ、壮士芝居、新派、落語、浪曲、講談、漫才などさまざまなものが演じられました。しかしそれにとどまらず、尾崎行雄や幸徳秋水らが立憲政治や社会主義の演説会に使われていました。
    当時の芝居小屋が大衆の遊び場や社交場であると同時に、言論の場としても、重要な役割を果たしていたことがうかがえます。

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    常設展示 / Pick Up! / のりもの

    明治5年(1872)、日本で初めての鉄道(新橋-横浜間)が開通。その頃、煙をあげて走る蒸気機関車は「陸蒸気」と呼ばれていました。
    現在の明治村では、当時から走り続けている蒸気機関車12号・9号が『SLなごや駅』と『SLとうきゃう駅』の間を繋いでいます。(走行する蒸気機関車は日によって異なります。)
    実際に乗ることができる客車も、明治41年(1908)製造のハフ11、明治45年(1912)製造のハフ13・14の計3両あり、機関車も含めてすべて明治時代の車両による編成です。

    蒸気機関車12号・9号・三等客車

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    病院はもともとは6棟の建物が中庭を囲んで配される分棟式の配置をとっていました。これは洋式大病院の典型的な形式で、日本赤十字社中央病院(4丁目35番地)にも踏襲されています。

    名古屋衛戍病院

    建造物

    この建物はガラス工場施設の一部で、当時は大きな窯場や倉庫が隣接していました。明治政府は、明治9年(1876)に民営のガラス工場、品川興行社を買い上げて国営工場としました。施設を拡張・整備し、イギリス人の技術者たちを雇い入れて、需要の急増した板ガラスやガラス瓶などの国産化を急ぎました。
    明治18年(1885)には再び民間のガラス会社に移管され、明治41年(1908)には高峰譲吉が共同出資した三共合資会社が買収して、タカジアスターゼ(胃薬)などを作る製薬工場になりました。いろいろな変遷を経てきた建物ですが、明治初期の洋式煉瓦造工場の姿をよく伝えています。

    工部省品川硝子製造所

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