Language
English
簡体中文
한국어
  • 団体向け情報
  • お問い合わせ
ブラジル移民住宅

ブラジル移民住宅

4丁目39番地

旧所在地 ブラジル・サンパウロ州 レジストロ市
建設年代 大正8年(1919)

明治41年(1908)の日米紳士協約により、アメリカへの新規移民が大きな制約を受けるようになると、代わって南米への移民が開始され、明治41年(1908)には781名の日本人が契約労働者として笠戸丸ではじめてブラジルへと渡航、サンパウロ周辺でコーヒー栽培に従事した。その後、ブラジルへの移民は年々増加し、昭和初年の最盛期にはその数は年間二万数千人にも及んだ。

この建物はある日本人移民が、慣れないコーヒー栽培に苦闘を重ねながら、密林を拓いて造った家の一つである。現地産の堅い木材を加工して造られているが、入植者の中の日本人大工の手が入り、小屋組、継手、仕口等には和風の工法が使われている。一方、二階に設けたベランダや、片開き板戸を付けた窓、スペイン瓦を葺いた屋根等、土地の風土に合わせた素朴さがただよっている。現在裏側になっている下屋が入口と台所を兼ねていたと思われ、下屋から二階の居室への内階段が設けられている。尚、建物横手の外階段は後補のものである。

瓦は粘土をこねて成型、燃成されるが、世界各国で様々な形が発達した。

和瓦 中国伝来の形が日本的に進化したもので、平瓦、丸瓦、桟瓦、鬼瓦、巴瓦等、使用する個所によって様々な形がある。
洋瓦 和瓦に対し、西欧で使われた形のもので、スペイン瓦、フランス瓦、イタリア瓦、イギリス瓦等それぞれに特色を持つ。

笠戸丸

ブラジル移民を最初に運んだ船「笠戸丸」は実に数奇な運命をたどっている。
1900年(明治33)ロシア船「カザン」としてイギリスで建造されるが、日露戦争に海軍の病院船として参戦し、旅順港で被爆して座礁、明治38年(1905)日本海軍が収容する。翌39年(1906)東洋汽船に貸し下げられ、ハワイ移民、ペルー移民、メキシコ移民、そしてブラジル移民の渡航に使用された後、同41年(1908)12月に海軍に返却される。翌年、今度は大阪商船から借用願いが出され、神戸基隆線に就航、同45年(1912)同社に払い下げられてから日台航路に使用された。昭和に入ると、病院船として揚子江へも往復したりするが、カルカッタ航路最初の就航船としての任務を終えた後、大阪商船から水産会社の手に渡り、蟹工船として使われることになる。以後、北洋の水産母船として昭和20年(1945)まで活躍するが、同年8月9日、ソ連の対日宣戦布告と同時に、西カムチャッカの海底に沈められた。

一覧へ

  • 総合案内板
  • イベントカレンダー
  • 新着情報
  • はじめてのお客様へ
  • 村内地図