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日本赤十字社中央病院病棟

日本赤十字社中央病院病棟

4丁目35番地

旧所在地 東京都渋谷区広尾
建設年代 明治23年(1890)

明治10年(1877)西郷隆盛が九州で挙兵した西南戦争の際、敵味方の区別なく傷病兵の救護に当たった博愛社が日本赤十字社のはじめである。明治19年(1886)日本政府がジュネーブ条約に加盟、日本赤十字社と名を改めるが、その折皇室から渋谷の御料地の一部と建設資金10万円が下賜され、同23年この病院が建設された。

中庭を囲む分棟式の木造様式病院で、赤坂離宮と同じ片山東熊の設計であるが、離宮と異なり、大変質素で落ち着いた建物になっている。移築に際し、敷地の制約のため建物の方位が180度変えられており、現在南に面している前面ガラス張の廊下は本来北側にあったもので、暗くなりがちな北面を明るくするための意匠である。外部はハーフ・ティンバーを模したデザインを基調にしているが、細部にも楽しさがあふれている。現在北側になって目立たないが、病室窓の鎧戸の上部には手の込んだ透しがあり、軒の飾りも細かい影を落としている。又、棟上の換気塔等も、本来の目的を忘れさせるような楽しい形に作られている。
病院の正面を飾っている額で、桐、竹、鳳凰が浮き彫りにされている。草創期の日赤をもりたてた昭憲皇太后のアイデアを基にしたものと言う。

ドイツのハイデルベルグ大学病院を模して二階建レンガ造で造られた本館を正面に据え、背後中央に大きな中庭を設け、その廻りに病棟を配する形は、陸軍軍医森鴎外も推奨していたものである。各病棟には、その端に便所が別棟として付けられている。

赤十字のはなし

赤十字は、戦時における戦傷者の看護を目的として作られた国際組織である。クリミア戦争におけるナイチンゲールの献身的な活動が人々に感銘を与えた後、1859年のイタリア統一戦争の際、両軍の軍医らに呼びかけて医療の先頭に立ったのが、赤十字生みの親、アンリ・デュナンである。その後、彼の提唱のもとに1864年ジュネーブ条約が調印され、赤十字が創設された。
ヨーロッパの赤十字活動を見聞し、日本でその創設に関わったのは佐野常民である。西南戦争の勃発を知った彼は博愛社を設立して、兵士の救護にあたった。戦後もその組織を存続させ、明治20年日本赤十字社と名を改めるとともに、万国赤十字同盟に加盟するに至った。
1920年(大正9年)以来隔年ごとに、ジュネーブの赤十字国際委員会により、看護婦の最高栄誉としてナイチンゲール記章がおくられている。明治村のこの病棟の中には、その栄誉に輝いた日本の人々の写真を掲げている。

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