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八雲が夏に過ごした海辺の町家

小泉八雲避暑の家

小泉八雲(1850-1904)はもとの名をラフカディオ・ハーンと言い、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた。アイルランドで教育を受けた後、アメリカで新聞記者などを経て、明治23年(1890)に来日し、英語教師として松江中学を始め各地へ赴任しました。明治29年(1896)に日本に帰化し、同年東京帝国大学に招かれ教鞭をとるようになると、毎年夏を焼津で過ごすようになりました。この家は魚屋の山口乙吉の家で、1階に通り土間を備えた典型的な町家です。

建設年 明治初年(1868)
村内所在地 4丁目48番地
旧所在地 静岡県焼津市城之腰
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成16年(2004)
解体年 昭和43年(1968)
移築年 昭和46年(1971)

目次 - Index -

    偉人ストーリー

    小泉八雲『乙吉の達磨』より

    「(略)私の庭の雪達磨は、何年か前に、私が東海岸の或漁村で楽しい一夏を送った時に発見した甚だ妙な達磨の事を私に想ひ出させる。そこには宿屋がなかった、しかし、或魚屋の主人の乙吉と云ふ男が、私に二階を貸して、不思議な程色々に料理した魚の御馳走をしてくれた。
    (略)
    それから私は店へ帰って、うろうろしながら色々の物を眺めた。一方には棚が何段もあって、干物の箱、食用の海藻の包み、草鞋草履の束、酒徳利、ラムネの壜などのせてある。その反対の側のずっと上に、神棚があった。その神棚の下に、達磨の赤い像のある少し小さい棚のある事に気がついた。たしかにその像はおもちゃではなかった、その前に供物もあった。私は達磨が家の神となっているのを見ても驚かなかった。(略)」

    田部隆次訳

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    常設展示 / Pick Up! / のりもの

    明治5年(1872)、日本で初めての鉄道(新橋-横浜間)が開通。その頃、煙をあげて走る蒸気機関車は「陸蒸気」と呼ばれていました。
    現在の明治村では、当時から走り続けている蒸気機関車12号・9号が『SLなごや駅』と『SLとうきゃう駅』の間を繋いでいます。(走行する蒸気機関車は日によって異なります。)
    実際に乗ることができる客車も、明治41年(1908)製造のハフ11、明治45年(1912)製造のハフ13・14の計3両あり、機関車も含めてすべて明治時代の車両による編成です。

    蒸気機関車12号・9号・三等客車

    建造物

    東京・文京区本郷にあった屋号を「喜之床」と称する理髪店で、明治後期から大正初期にかけての商家の形式をうかがい知れる建物。店の正面をガラス張りにしているのは当時の新しいスタイル。床屋は、ハイカラにはバーバーともいわれ、庶民の暮らしに欠かせない店屋でした。
    この建物の2階二間を明治42年(1909)から間借りして家族と生活していたのが、歌人石川啄木です。処女歌集『一握の砂』はここで暮らしているときに出版されました。

    本郷喜之床

    常設展示 / のりもの

    明治29年(1896)に尾西鉄道が開業するにあたり、アメリカのブルックス社から購入した機関車。
    『2B1』と呼ばれる前輪2軸、動輪2軸、従輪1軸のタンク式です。
    大正14年(1925)に尾西鉄道と名古屋鉄道が合併した際、この車両は名古屋鉄道の所有になり、その後は新潟県の信越線二本木駅に隣接する日本曹達株式会社内の工場専用機として使用され、入替作業に従事しました。

    尾西鉄道蒸気機関車1号

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