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品川燈台(重要文化財)

品川燈台(重要文化財)

3丁目29番地

旧所在地 東京都港区品川
建設年代 明治3年(1870)

安政5年(1858)欧米の列強5ヶ国と結ばれた通商条約に従って各地に港が開かれたが、列強国の関税率等に対する要求はさらに厳しくなり、慶応2年(1866)日本は改税約書を受け入れることになった。その第11条で開港場に出入する外国船のために燈台や航路標識を設けることが取り決められた。

江戸幕府、ついで明治政府は燈台建設のための技術援助をフランス、イギリスに依頼、東京湾沿岸の観音崎、野島崎、城ヶ島、品川の4つの洋式燈台がヴェルニーを首長とするフランス人技術者の手によって建設された。
この燈台は品川沖の第ニ台場の西端に建てられ、明治3年(1870)3月5日に点燈された。石油による光で100燭光、光源の高さは地上から19尺(約5.8m)海面上52尺(約16m)、光の届く距離は約18kmと記録されている。
品川台場は、江戸防備のため江川太郎左衛門の計画に基づき幕末に急造された人工島で、当初は大砲を備えていた。
観音崎など他の燈台がなくなった現在、現存最古の洋式燈台として貴重な遺構である。

避雷針先端までの高さ約9m、円筒形レンガ造で、基礎、入口廻り、螺旋階段、デッキの支え等に石材を組み入れている。燈室の枠は砲金製、屋根は銅板製である。金属部、ガラスはいずれもフランス製であるが、レンガは建設当時フランスの技術者が工事を進めていた横須賀製鉄所のレンガを使用している。創建時には塔身の廻りに半円形の前室があったが、記録が詳らかでないため、塔身だけを復原している。

台場鼻潮流信号機

旧所在地 山口県下関市竹子島 設置年 明治42年(1909)
潮の流れが激しい場所に船舶航行の安全のために設けられた信号機で腕木式信号機ともいわれる。この信号機は潮流の方向や速さを予測し船舶に伝えるものである。この竹子島の信号機の場合は黒い四角板が上70度の場合は東流中央期、上30度は東流初又は末期、赤い丸板が上70度の場合は西流中央期、上30度は西流初又は末期を表していた。なお、夜間は灯台の閃光の間隔、色によって表していた。

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