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古都に出現した赤レンガの教会堂

聖ヨハネ教会堂

日本聖公会京都五条教会堂として建設された教会堂。2階が会堂、1階は日曜学校や幼稚園に使われていました。
中世ヨーロッパのロマネスク様式をベースに、細部にゴシックのデザインをまじえた外観が特徴。正面の左右には高い尖塔が建てられ、奥に十字形の大屋根がかかる会堂が配されています。2階の会堂の内部は十字形の平面になっていて、小屋裏あらわしも。アーチ形の方杖と鉄筋が組み合わされた独特な小屋組の細い骨組みにより、実際よりも広く感じさせる造りです。正面の妻と交差廊の両妻には大きな尖塔アーチの窓が設けられ、美しいトレーサリーの模様が浮かび上がるとともに、室内に光をふんだんに取り込みます。京都の風土に合せて使ったといわれる天井の竹のすだれが明るい光を反射し、内部の印象は非常に開放的です。

建設年 明治40年(1907)
村内所在地 1丁目6番地
旧所在地 京都市下京区河原町通五条
文化財種別 重要文化財
指定年 昭和40年(1965)
解体年 昭和38年(1963)
移築年 昭和39年(1964)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    ポイント01|開放感を高める工夫

    十字形平面になっている2階の会堂内部は、小屋裏をあらわし、柱などの骨組みが細く見えることで、広さを感じさせます。京都の気候にあわせて使用した天井の竹のすだれが陽光を反射し、より開放的な印象に。

    ポイント02|中世ゴシック様式の装飾が随所に

    建物細部のところどころにゴシック風の尖頭アーチが見られますが、とりわけ正面入口のものは必見。レンガ積みの角柱から柱頭飾りを挟んで、レンガ積みのきれいなアーチが立ち上っています。奥の欄間に配された2つの三葉形アーチの窓や、板扉の大形の金具のデザインも中世風のものです。

    ポイント03|トレーサリーのステンドグラス

    この教会がまだ京都に建っていた頃の昭和9年(1934)、室戸台風の来襲によりこのトレーサリーのステンドグラスは破損してしまいました。平成10~11年(1998~1999)の保存修理の際に復原され、往時の華やかさがよみがえりました。

    設計者のJ.M.ガーディナーは、アメリカ人建築家。開国後は多くの宣教師が来日しましたが、その中には宣教だけでなく、実業面や教育面でも業績を遺した人もいました。ガーディナーもその一人です。ハーバード大学で建築を学んだ後、明治13年(1880)に来日。立教学校の校長として教育宣教にあたる一方で、建築家としても立教大学校校舎、明治学院ヘボン館、日光真光教会等の作品を遺しました。

    紹介動画

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    建造物

    明治41年(1908)に竣工した赤坂離宮(現迎賓館)の正門に、警護のために設けられた4基(左右内外で計4基)の哨舎(しょうしゃ)の一つ。
    赤坂離宮は、当時皇太子であった大正天皇のために建てられた東宮御所で、明治時代を代表する洋風建築です。日本における唯一のネオ・バロック様式の洋風宮殿であり、内外とも当時の技術・工芸の粋が集められています。本館前には広大な西洋式庭園も造られ、警備のために皇宮警察警手が詰める哨舎が配されていました。哨舎は木造銅板葺き、八角形の平面で、洋風の正門にあわせて白壁に丸屋根、頂上に飾りをのせた洒落たデザインになっています。
    設計者は片山東熊(1854-1917)で、工部大学校造家学科で英人建築家コンドルの教えを受けた、第1回卒業生4名のうちの一人でした。

    赤坂離宮正門哨舎

    建造物

    東京・汐留の新橋停車場構内に東京鉄道局が建てた工場施設の一つです。新橋工場には、旋盤、木工、鍛冶、鋳物など9工場が設けられており、この建物は木工場であったと推測されます。
    この建物は、構造技術の面では鉄道寮新橋工場(4丁目44番地)にならって造られたものですが、鋳鉄柱に「東京鉄道局鋳造」の銘があり、国産鉄造建築の初期例といえます。構造形式は、鉄造平屋建て、越屋根付き切妻屋根の銅板葺き。
    大正8年(1919)に大井工場に移築され第二旋盤職場として、昭和41年(1966)まで使用されました。

    鉄道局新橋工場

    重要文化財 / 建造物

    三重県令(現在の知事)岩村定高の発案による洋風県庁舎。明治13年(1880)には明治天皇も行幸され、昭和39年(1964)まで使用されました。明治政府が急速に地方行政の整備を進めると県令はこのような洋風庁舎を新築することが多くなりました。三重県庁舎は、間口が54mに及ぶ大きな建物で、玄関を軸に左右対称となっており、正面側に2層のベランダがめぐらされています。 中央に玄関と車寄を置き、前面にベランダをつけて左右対称とする構成は、明治9年(1876)に建てられた内務省庁舎にならったもので、明治初期の木造官庁舎の典型といえます。
    設計者は当時、県の土木掛にいた大工の清水義八。清水はその後、同市内に造られた三重県尋常師範学校・蔵持小学校(1丁目3番地)も手がけました。

    三重県庁舎

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