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現存する最古の県庁舎

三重県庁舎

三重県令(現在の知事)岩村定高の発案による洋風県庁舎。明治13年(1880)には明治天皇も行幸され、昭和39年(1964)まで使用されました。明治政府が急速に地方行政の整備を進めると県令はこのような洋風庁舎を新築することが多くなりました。三重県庁舎は、間口が54mに及ぶ大きな建物で、玄関を軸に左右対称となっており、正面側に2層のベランダがめぐらされています。 中央に玄関と車寄を置き、前面にベランダをつけて左右対称とする構成は、明治9年(1876)に建てられた内務省庁舎にならったもので、明治初期の木造官庁舎の典型といえます。
設計者は当時、県の土木掛にいた大工の清水義八。清水はその後、同市内に造られた三重県尋常師範学校・蔵持小学校(1丁目3番地)も手がけました。

建設年 明治12年(1879)
村内所在地 1丁目13番地
旧所在地 三重県津市栄町
文化財種別 重要文化財
指定年 昭和43年(1968)
解体年 昭和39年(1964)
移築年 昭和41年(1966)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    ポイント01|列柱が続くベランダが壮観な擬洋風建築

    基壇と礎石、円柱、エンタブレチュアは、古代ギリシャ・ローマの神殿に由来した構成。出入口や窓も洋風の要素として、半円アーチや円弧アーチの形が取り入れられています。

    ポイント02|格式に応じて凝らされた室内意匠

    2階中央部の旧上局、会議所、知事室はとりわけ格式が高い部屋。天井を格天井とする意匠がそれを物語っています。室内のカーテンや什器等も再現され、当時の厳かな雰囲気が伝わります。

    ポイント03|ペンキで木目を描く塗装技法

    扉や窓、開口の額縁は、洋風建築とともに西洋から伝えられた木目塗りという技法で塗装されています。これは木の素地を見せずにペンキを塗り、マホガニーやチークといった高価な木材種の木目を描く方法。明治村には、同じくこの木目塗りが用いられている建物として、菅島燈台附属官舎(3丁目30番地)、東山梨郡役所(2丁目16番地)、長崎居留地二十五番館(3丁目31番地)の3件があります。

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    建造物

    明治41年(1908)に竣工した赤坂離宮(現迎賓館)の正門に、警護のために設けられた4基(左右内外で計4基)の哨舎(しょうしゃ)の一つ。
    赤坂離宮は、当時皇太子であった大正天皇のために建てられた東宮御所で、明治時代を代表する洋風建築です。日本における唯一のネオ・バロック様式の洋風宮殿であり、内外とも当時の技術・工芸の粋が集められています。本館前には広大な西洋式庭園も造られ、警備のために皇宮警察警手が詰める哨舎が配されていました。哨舎は木造銅板葺き、八角形の平面で、洋風の正門にあわせて白壁に丸屋根、頂上に飾りをのせた洒落たデザインになっています。
    設計者は片山東熊(1854-1917)で、工部大学校造家学科で英人建築家コンドルの教えを受けた、第1回卒業生4名のうちの一人でした。

    赤坂離宮正門哨舎

    重要文化財 / 建造物

    西郷隆盛の弟、西郷従道が建てた住宅のうち、接客用に設けられた洋館。従道は陸海軍の大臣を歴任していたため、在日外交官の来客も多く、明治22年(1889)には明治天皇の行幸も仰ぎました。
    設計にはフランス人レスカスが関与していると伝えられ、建築金具や階段などをフランスから取り寄せているほか、2階には日本三景が描かれた陶板で飾った暖炉も設置されています。
    この建物は耐震性を高める工夫がなされています。屋根には軽い銅板が葺かれ、野地板が斜めに張られているほか、外壁は柱間に落とし込んだ本実下見板張りとなっています。

    西郷從道邸

    建造物

    東京・汐留の新橋停車場構内に東京鉄道局が建てた工場施設の一つです。新橋工場には、旋盤、木工、鍛冶、鋳物など9工場が設けられており、この建物は木工場であったと推測されます。
    この建物は、構造技術の面では鉄道寮新橋工場(4丁目44番地)にならって造られたものですが、鋳鉄柱に「東京鉄道局鋳造」の銘があり、国産鉄造建築の初期例といえます。構造形式は、鉄造平屋建て、越屋根付き切妻屋根の銅板葺き。
    大正8年(1919)に大井工場に移築され第二旋盤職場として、昭和41年(1966)まで使用されました。

    鉄道局新橋工場

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