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日本の近代化の一端を担ったガラス工場

工部省品川硝子製造所

この建物はガラス工場施設の一部で、当時は大きな窯場や倉庫が隣接していました。明治政府は、明治9年(1876)に民営のガラス工場、品川興行社を買い上げて国営工場としました。施設を拡張・整備し、イギリス人の技術者たちを雇い入れて、需要の急増した板ガラスやガラス瓶などの国産化を急ぎました。
明治18年(1885)には再び民間のガラス会社に移管され、明治41年(1908)には高峰譲吉が共同出資した三共合資会社が買収して、タカジアスターゼ(胃薬)などを作る製薬工場になりました。いろいろな変遷を経てきた建物ですが、明治初期の洋式煉瓦造工場の姿をよく伝えています。

建設年 明治10年(1877)頃
村内所在地 4丁目45番地
旧所在地 東京都品川区北品川
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成16年(2004)
解体年 昭和43年(1968)
移築年 昭和44年(1969)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    小規模ながら本格的なレンガ造建築

    建物は、イギリス積みのレンガ壁と瓦葺きの屋根が特徴です。
    窓はアーチ式のものが中心ですが、右側3分の1ほどにはまぐさ式開口も設けられています。この部分の内部に、中2階の床があるためです。

    建物の内部は、間仕切りのない一室空間。片側の約3分の1のスペースに中2階が設けられ、厚いレンガの壁に梁を差し込んで床を支えています。小屋組は典型的なキングポストトラスで、建物の上には、換気用の越屋根(こしやね)が載せられています。

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    精紡機は、前紡工程の練紡機(粗紡機)より供給された粗糸を引き伸ばして所要の太さにしたのち、撚りをかけて糸とし、その糸を自動的に巻き取る機械です。この機械は三重紡績会社で使用され、日本の近代化に大きく貢献しました。

    リング精紡機

    建造物

    名古屋城内に置かれた陸軍名古屋鎮台の附属病院。「衛戍」とは陸軍の駐屯のことを言います。明治村には、管理棟の半分と病棟1棟、それらをつなぐ渡り廊下が移築されています。建物は木造平屋建ての桟瓦葺きで、周囲に吹き放ちのベランダをめぐらせています。非常に開放的で明るく、清潔感にあふれた印象です。
    病院はもともとは6棟の建物が中庭を囲んで配される分棟式の配置をとっていました。これは洋式大病院の典型的な形式で、日本赤十字社中央病院(4丁目35番地)にも踏襲されています。

    名古屋衛戍病院

    建造物

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    病院はドイツのハイデルベルク大学病院を模したレンガ造2階建ての本館が正面に構え、その背後に木造病棟が並び、それらが廊下で環状に結ばれていました。病棟の先端には、別棟の便所が接続していましたが、この便所棟も移築されています。当時としては最先端の設備を誇っていた病院でした。
    ハーフティンバーとドイツ下見板張りの外壁や、繊細な軒飾りや小壁の透かしが、建物の印象を柔らかいものにしています。


    日本赤十字社中央病院病棟

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