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酒造りのための大規模な木造建築

菊の世酒蔵

愛知県刈谷市にあった廣瀬酒造の酒蔵。もともとは明治初年(1868)頃に、現在の愛知県碧南市新川に穀物蔵として建てられ、明治28年(1895)に刈谷市に移されました。
一般的に、酒蔵は醸造の過程と用途にもよるものの、おおむね大規模な建物になることが多いといわれます。この酒蔵も例にもれず、木造2階建ての桟瓦葺きに梁間9間(約16.3m)、桁行き18間(約32.7m)、幅2間(約3.6m)の庇がついた大きな建物になっています。

建設年 明治初年(1868)頃
村内所在地 5丁目64番地
旧所在地 愛知県刈谷市銀座
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成16年(2004)
解体年 昭和44年(1969)
移築年 昭和58年(1983)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    建物と道具から、当時の酒造りの工程を知る

    酒造りでは、雪国や山村の農民、漁民らといった出稼ぎ達が、主に「蔵人」を任されていました。蔵人を先導するのが「杜氏」、その補佐は「頭」と呼ばれます。さらにその下に、酒造りの大切な工程である麹づくりを担う「大師」(麹師などともいう)、醗酵のための酵母菌を増やす作業の責任者「酛廻り」が続きます。そのほか道具の管理、酒しぼり、蒸米などの役割に応じて責任者が決められ、それら責任者の下に「上人・中人・下人」らの職人がいました。

    現在、菊の世酒蔵の内部では、酒造りの道具を工程順に展示しています。当時の酒造りの様子に思いを馳せてみましょう。

    移築秘話

    実は明治村の収蔵庫

    この建物は、地上部分の半分と地下を鉄筋コンクリート造とし、明治村の収蔵庫として使用しています。(収蔵庫内部は非公開)

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    建造物

    山形県天童市の倉津川に架けられた石造アーチ橋。もともとの名は多嘉橋(「高橋」の表記とも)。幅7.7m、長さ13.3mの規模で、地元産の山寺石を積んで造られました。
    日本のアーチ橋は、江戸初期に建造が始まり、長崎の眼鏡橋などが有名です。中国から伝来した技術が用いられたため、九州地方に多く架けられました。明治に入ると、欧米の技術も取り入れられ、各地で見られるようになりました。東北地方のアーチ橋は、当時の県令であった三島通庸による土木政策からも大きな影響を受けました。長崎の眼鏡橋が湾曲した床面を持つのに対し、この橋は、ローマの水道橋のような水平な床面になっています。

    天童眼鏡橋

    常設展示

    服装や食事も当時の資料に基づいて再現しています。

    常設展示 明治の監獄体験

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    東京・日本橋のシンボルとして、永く人々に親しまれてきた川崎銀行本店。その正面左端の外壁が部分的に保存されています。
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    明治村では、展望タワーとして生まれ変わっています。

    川崎銀行本店

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