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日本赤十字社中央病院病棟
東京・渋谷区広尾の日本赤十字社病院の敷地内に建っていた、分棟式の木造病棟9つのうちの1棟。設計は、赤坂離宮などと同じ宮内省技師・片山東熊です。
病院はドイツのハイデルベルク大学病院を模したレンガ造2階建ての本館が正面に構え、その背後に木造病棟が並び、それらが廊下で環状に結ばれていました。病棟の先端には、別棟の便所が接続していましたが、この便所棟も移築されています。当時としては最先端の設備を誇っていた病院でした。
ハーフティンバーとドイツ下見板張りの外壁や、繊細な軒飾りや小壁の透かしが、建物の印象を柔らかいものにしています。
建設年 | 明治23年(1890) |
村内所在地 | 4丁目35番地 |
旧所在地 | 東京都渋谷区広尾 |
文化財種別 | 登録有形文化財 |
指定年 | 平成16年(2004) |
解体年 | 昭和48年(1973) |
移築年 | 昭和49年(1974) |
目次 - Index -
鑑賞ポイント
ポイント01|質素ながら外観の細部にまで意匠を凝らす
木造平屋建て、寄棟造り、桟瓦葺きの建物。レンガ造りの高い基礎に建っており、廊下は高床式で造られています。外壁はドイツ下見板張り。ハーフティンバー様式に模した柱形がついています。
屋根の上に立つ換気塔も、本来の用途を忘れさせるほど、繊細な装飾が施されています。
現在は北側の外部にあり目立たないものの、病室窓の鎧戸の上部には手の込んだ透かしがあります。また軒飾りもレースのように細かな陰影が、建物の印象を柔らかくしています。
ポイント02|光あふれる廊下
明治村への移築にあたって、敷地条件の都合から建物の方位が180度変えられており、現在南に面している全面にガラスの引き違い窓がはめられた廊下は、本来は北側にあったものでした。暗くなりがちな北面を、明るくするための工夫が見てとれます。現在はふんだんに光の差し込む廊下となり、光あふれる開放的な空間が人気を集めています。
ポイント03|病院の正面を彩っていた彫刻
現在、建物の廊下に、桐や竹、鳳凰を浮き彫りにした彫刻の額が掲げられています。これは病院本館の破風に掲げられたものでした。意匠は、日本赤十字病院の立ち上げに一役買った、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)のかんざしの意匠をもとにしたといわれています。
日本赤十字社の成り立ちをさかのぼると、明治10(1877)年に西郷隆盛が九州で挙兵した西南戦争で、敵味方の区別なく傷病兵の救護にあたった博愛社がはじまりでした。明治19(1886)年、日本政府がジュネーブ条約に加盟し、翌年の同20(1887)年に日本赤十字社と名を改めました。その際に皇室から渋谷の御料地(皇室の所有地)の一部と建設資金10万円が与えられ、同23(1890)年にこの病院が建設されたのです。
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