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日本橋のシンボルとして愛された銀行建築

川崎銀行本店

東京・日本橋のシンボルとして、永く人々に親しまれてきた川崎銀行本店。その正面左端の外壁が部分的に保存されています。
設計は、ドイツの大学で建築を学び、帰国後に多くの銀行建築に携わった矢部又吉(1869-1927)。ルネッサンス様式を基調とした本格的な銀行建築です。鉄筋コンクリート造(一部鉄骨)造の構造に、外壁は花崗岩積を使用。地上3階・地下1階、間口38m、高さ20mの堂々たる建造物でした。3層構成の1層部分である玄関は、ブロンズ製の重厚な両開扉が備えられています。2、3層通しの長大なコリント式オーダー柱と好対称を成しています。
明治村では、展望タワーとして生まれ変わっています。

建設年 昭和2年(1927)
村内所在地 5丁目57番地
旧所在地 東京都中央区日本橋
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成16年(2004)
解体年 昭和61~62年(1986~87)
移築年 平成2年(1990)

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    愛知県刈谷市にあった広瀬酒造の酒蔵。もともとは明治初年(1868)頃に、現在の愛知県碧南市新川に穀物倉として建てられ、明治28年(1895)に刈谷市に移されました。
    一般的に、酒蔵は醸造の過程と用途にもよるものの、おおむね大規模な建物になることが多いといわれます。この酒蔵も例にもれず、木造2階建ての桟瓦葺きに梁間9間(約16.3m)、桁行き18間(約32.7m)、幅2間(約3.6m)の庇がついた大きな建物になっています。

    菊の世酒蔵

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    南北250m、東西190mを囲う長く高いレンガ塀の敷地、唯一の出入口として設けられた正門です。
    西洋の城郭にも似たデザインで、赤レンガに白花崗岩の帯状装飾を入れたネオ・ルッサンス様式です。アーチ型両開き鉄扉を備えた中央出入口と、楯式片開き鉄扉を付けた両脇出入口の三間構成になっています。移築されるにあたり、レンガ造から鉄筋コンクリート造に改められました。
    閉鎖的で威圧的な印象ながら、その造形の美しさに目を奪われます。

    金沢監獄正門

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    隅田川に架かっていた鉄橋「新大橋」の一部。当時の日本橋区浜町から深川区安宅町間へ架かる橋として、多くの人々に利用されました。
    隅田川には江戸時代以来、木橋が架けられてきましたが、明治の半ば頃から次第に鉄橋に架け替えられました。この新大橋もその一つで、明治41年(1908)に起工され、同45年(1912)に開通。明治村には、京橋浜町側に架かっていた約23mの部分が移築されています。
    設計監理は、まだ東京市であった頃に市の営繕(えいぜん)を担当していた技術者達によるもの。日下部辨二郎、樺島正義らの名前が記録されています。鉄材はアメリカからカーネギー社の製品を輸入し、石材は常陸の石を使いました。

    隅田川新大橋

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