記者
ライターいずのうみ
2021/12/24
画像:江戸川乱歩『探偵小説四十年』より
『少年探偵団』や『D坂の殺人事件』など数々の名著を残し、日本の推理小説の礎を築いた江戸川乱歩。昭和を代表する文豪の一人とも言われる彼の性格や生き様を見てみると、意外な一面が出てきます。生涯で46回も引っ越しを繰り返したり、サボり癖があり仕事を転々としていたり、人嫌いな性格だったり……。
今回は、そんな江戸川乱歩の意外な一面を紹介します。日本の推理小説のパイオニアとして名高い江戸川乱歩のことが、身近に感じられるかもしれません。
画像:立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター
明治27年(1894年)に三重県名賀郡名張町(現在の名張市)に生まれた江戸川乱歩(本名:平井太郎)は、3歳の幼少期から中学(現在の高等学校)を卒業する青年期までは愛知県名古屋市で過ごしました。そして、中学を卒業するまでに名古屋市内(すべて栄周辺)で4回も引っ越したとされています。
<乱歩が暮らした名古屋市の地域>
・園井町(現在の中区錦1〜3丁目の一部)
・葛町(現在の中区松原のあたり)
・南伊勢町(現在の中区栄3丁目あたり)
・栄町(現在の中区栄・錦あたり)
栄にある江戸川乱歩旧居跡記念碑
現在、乱歩が一番長く住んだ南伊勢町(栄交差点西南角地)には、江戸川乱歩旧居跡記念碑が建てられています。怪人二十面相をモチーフにしたシルクハットとマントも素敵ですね。
そして高校卒業後、いったん朝鮮へと渡りますが、すぐに単身帰国し早稲田大学予科を経て大学部政治経済学科へ進学。大学卒業後は、鳥羽や大阪でサラリーマン生活を送り、大正12(1923)年に作家デビューしてからは東京へ移り住みます。乱歩は、なんと生涯で計46回も引っ越しを繰り返しました。
画像:立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター
最後は東京都豊島区、立教大学の隣の邸宅に移り住み、享年70歳までここで暮らしました。現在は立教大学が管理する「旧江戸川乱歩邸(大衆文化研究センター)」となり、数々の貴重な資料や書籍、書庫として利用されていた土蔵が保存・公開されています。
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乱歩は小説家になるまでの間に「14、5の職業を転々とした」と話したこともあり、どの仕事も長続きはしませんでした。仕事が続かない理由は「朝、起きられないから」だとか。
乱歩は「朝起きて通勤して定時まで働く」という規則正しい生活を毎日繰り返すことが性に合わないと言い、三重県鳥羽市の造船所で働いているころには、出勤したふりをして押し入れに布団を敷き、サボっていたというエピソードもあるほど。
乱歩が経験した仕事は職種も業界もさまざまで、以下のような仕事をしていました。
・鳥羽造船所電機部の庶務課で社内誌「日和(にちわ)」の編集や地域交流の仕事
・東京都文京区の団子坂で弟2人と古書店「三人書房」を経営
・ラーメン屋台の経営(屋台を引きながらチャルメラを吹いていた)
・高田馬場駅近くに下宿「緑館」を開業
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このほか貿易会社社員、タイプライターのセールスマン、漫画雑誌の編集者、役所職員、新聞記者、新聞広告部員、ポマード製造所の支配人、弁護士事務所の手伝いなど数々の仕事を経験したそう。一つの仕事が長く続かないのは、朝寝坊に加えて飽き性でサボり癖の性格も関係しているのでしょう。
そして、乱歩の代表作の一つとも言える小説『D坂の殺人事件』は古書店のあった団子坂がモデルになっています。
江戸川乱歩は小さいころから人が嫌いで、学校にもあまり行っていませんでした。自分でも「厭人癖」「孤独癖」と言っているとおり、人付き合いが苦手で内にこもりがちな性格だったのです。
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乱歩の人嫌いは大人になっても続きました。ある日、乱歩の恩人であり、彼の小説を称賛していた作家・宇野浩二が彼を訪ねたときには「旅行に出ている」と居留守を使うほど。しかし、恩人に嘘をついたという罪悪感に苛まれたのか、その後本当に旅行に出て、居留守を使ったことを正直に手紙で謝罪。なんとも回りくどいやり方です。
しかし、恩人の宇野氏は乱歩が居留守を使っていたと知っても怒ってはいなかったようで、乱歩に好意的な返事を送っています。
乱歩は50歳近くなるまでずっと人嫌いな性格でしたが、戦争を機に町内会で人付き合いを余儀なくされると、一転して人好きに。「実に恐るべき変化であった」と自ら語るほど、乱歩はすっかり人嫌いを克服したのです。
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小説家として軌道に乗った後も、乱歩は長編小説の構想をまとめるのが苦手でした。そのため、見切り発車で連載をはじめては行き詰まって休載することもしばしばあったそう。
東京朝日新聞に連載していた『一寸法師』では、探偵小説らしくない作風が気に入らず、連載中から休筆を考えていました。そしてついに「なんか違う。納得がいかない。」と休載を宣言し放浪の旅に出てしまったのです。
画像:江戸川乱歩『探偵小説四十年』より
また、雑誌『新青年』で『悪霊』を連載していたときには、「犯人はこの中にいる」と断定までしたものの、どうしても結末が思いつかず「探偵小説の神様に見放されたのか、気力体力が衰えた。」と謝罪文を出して打ち切り。『悪霊』はその後も続編がつづられることなく、乱歩の死をもって未完の作品となりました。
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そして、「西洋にピアノを弾きながら小説の構想を練る作家がいる」と聞き、乱歩は三味線をはじめます。「作家として生きた31年間17年は休筆していた」と自分で語るほど頻繁に休筆をしていた乱歩ですが、三味線の腕だけはメキメキと上達していたようです。
画像:江戸川乱歩『探偵小説四十年』より
多くの名作を残した江戸川乱歩は、怪奇や幻想を全面に押し出した突飛な作風に加え、本格的なトリックを駆使した探偵小説が魅力です。その背景には、乱歩の性格やさまざまな職業を経て経験したことが活かされているのでしょう。
サボり癖や飽き性、人嫌い、など意外にも人間らしさがあふれると思いきや、引っ越しを46回も繰り返すなど常人離れしたところもある江戸川乱歩。彼の性格や人生に思いを馳せながら作品を読み返してみると、新しい面白さが発見できるかもしれませんよ。
監修:
金城大学 文学部 日本語日本文化学科
教授 小松史生子 氏
出典:
『文壇よもやま話(上)』(中公文庫)
『探偵小説四十年』
『探偵小説三十年』
名古屋市図書館展示資料集「小酒井不木と江戸川乱歩」
https://www.library.city.nagoya.jp/img/guide/hoshi2_202103_3_1.pdf
日本経済新聞『私の履歴書』
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ライターいずのうみ
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