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景色のいい和食処

和食処 碧水亭

入鹿池と日本庭園を見渡せる和食処です。
※団体様貸切の場合があります。

場所 西郷從道邸前(1丁目)
ジャンル 和食
予算 ※クレジットカード・電子マネー・QRコード決済をご利用いただけます。
予約 団体でのご利用時は要予約(10名~40名) 問合せ番号:0568-67-1159 ※3月~11月の土日祝はご予約いただけません。あしからずご了承くださいませ。 ※6ヶ月前から2週間前まで承ります。
定休日 冬季期間 毎週 火・水曜日 3月1日~7月31日 毎週 火曜日(祝日は営業)
営業時間 12月21日~2月28日【平日】11:00~(L.O.14:30)【休日】11:00~(L.O.14:30) 3月1日~7月31日 【平日】11:00~(L.O.15:30)【休日】10:30~(L.O.15:30) ※季節によって異なる場合があります。
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◆定休日、土日祝(12月~2月を除く)はご予約できませんのでご了承ください。

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    おすすめ

    ハヤシライス(サラダ付き)/1,800円

    ハヤシライス(サラダ付き)/1,800円

    オリジナルデミグラスソースを使用した優しい味わいです。
    (販売期間:3/18(火)~6/29(日))

    食道楽のカレー/1,400円

    食道楽のカレー/1,400円

    みそカツランチ/2,200円

    みそカツランチ/2,200円

    碧御膳/2,500円

    碧御膳/2,500円

    牛鍋丼/2,000円

    牛鍋丼/2,000円

    メニュー

    お品書き

    • ★明治の牛鍋丼

      こだわりの出汁を使った、碧水亭自慢の手作り牛鍋丼

      2,000円

    • ★味噌かつランチ

      2,200円

    • ★食道楽のカレー

      ※カレーの辛さは中辛になります。

      1,400円

    • ★カツカレー

      ※カレーの辛さは中辛になります。

      2,000円

    お飲み物

    • 瓶ビール ※夏季限定

      700円

    • ソフトドリンク 各種

      500円~

    • コーヒー・紅茶

      500円

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    建造物

    明治41年(1908)に竣工した赤坂離宮(現迎賓館)の正門に、警護のために設けられた4基(左右内外で計4基)の哨舎(しょうしゃ)の一つ。
    赤坂離宮は、当時皇太子であった大正天皇のために建てられた東宮御所で、明治時代を代表する洋風建築です。日本における唯一のネオ・バロック様式の洋風宮殿であり、内外とも当時の技術・工芸の粋が集められています。本館前には広大な西洋式庭園も造られ、警備のために皇宮警察警手が詰める哨舎が配されていました。哨舎は木造銅板葺き、八角形の平面で、洋風の正門にあわせて白壁に丸屋根、頂上に飾りをのせた洒落たデザインになっています。
    設計者は片山東熊(1854-1917)で、工部大学校造家学科で英人建築家コンドルの教えを受けた、第1回卒業生4名のうちの一人でした。

    赤坂離宮正門哨舎

    建造物

    高等学校令により名古屋に開校された第八高等学校正門。赤煉瓦と白御影石を積み、扉、柵に鉄材を軽やかに使ったデザインは、明治期に導入されたネオ・ルネッサンス様式です。
    明治42年(1909)に建造されて以来、わが国の学校制度改革と運命を共にした由緒ある教育の門でもあります。昭和24年(1949)の学制改革で新制名古屋大学教養部の正門となり、ついで昭和40年(1965)に校舎が名古屋市立大学に移管され、正門もまた名古屋市の所有になりました。その後取り壊される運命となり、今度は明治村正門としてお客様を迎えることとなりました。

    第八高等学校正門

    建造物

    明治の文豪である森鷗外と夏目漱石が、奇しくも相次いで借家した和風住宅。明治20年(1887)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたものの、空家のままだったこの家は、明治23年(1890)に森鷗外が借家し1年余りを過ごしました。鷗外は、ここに移り住む同年の1月、処女作小説『舞姫』を発表。この家では『文づかひ』等の小説を執筆し、文壇に入っていきました。
    明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が住み、漱石はここで『吾輩は猫である』を発表。文壇にその名を高めました。文中に描写された家の様子は、よくこの家の姿を写しています。
    玄関脇の張り出した和室(応接兼書斎)、台所から座敷への中廊下には、住宅の近代化の萌芽が見られます。

    森鷗外・夏目漱石住宅

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