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ドイツ・バロック風の瀟洒な研究所

北里研究所本館・医学館

北里研究所はドイツでロベルト・コッホに師事し、細菌学を研究した北里柴三郎博士が伝染病の研究所として創立したものです。
この建物は、博士自身が学んだ研究所にならい、ドイツ・バロック風を基調とし、腰折れ屋根やドーマー窓が特徴です。細部には幾何学をモティーフとした意匠も見られ、新しい時代のデザインの影響も見え隠れします。
顕微鏡による観察を良好な条件で行えるよう、光の変化が少ない北に面して部屋が設けられていました。

建設年 大正4年(1915)
村内所在地 3丁目25番地
旧所在地 東京都港区白金
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成15年(2003)
解体年 昭和54年(1979)
移築年 昭和55年(1980)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    ポイント01|目を引く段状の破風と八角の小塔

    中央正面の段型切妻の意匠が大きな特徴である、ドイツ・バロック風の建築。木造2階建て、腰折れ屋根の天然スレート葺きで、一段と高い中央寄棟に小塔をのせています。玄関の上を飾るのは、段状の破風(はふ)と八角の小塔。

    ポイント02|車寄と紋章

    玄関の車寄は、縦溝付きの角柱で支え、パラペットで飾られています。
    パラペットには、北里柴三郎が発見した「破傷風菌」と、平和のシンボルである月桂樹をあしらった紋章が取りつけられています。これは現在も北里学園の校章です。

    紹介動画

    偉人ストーリー

    細菌学の発展に貢献した北里柴三郎

    古代ギリシャのヒポクラテスを祖として始まった西洋医学は、臨床学的、解剖学的な発展を遂げたものの、微生物の存在については、17世紀半ばにいたるまで学者の想像の域を出ていませんでした。1683年(天和3)になって、オランダ人のレーベンフックが自作の単式顕微鏡を使い、初めて「小動物」(微生物)をその目で確認します。

    その後、顕微鏡の発達が微生物研究の進展を促し、19世紀後半にはパスツール、コッホらにより、病気と微生物との因果関係が明らかにされました。それにともない、基礎医学の重要分野の一つである、医学的細菌学が確立されていったのです。

    東京大学で医学を修めた北里柴三郎は、ドイツに留学し、コッホのもとで細菌学を研究しました。柴三郎はそこで破傷風菌の培養、また破傷風の血清療法を発見し、学界に認められます。

    日本へ帰国した翌年、明治25年(1892)には福沢諭吉の後援を得て、日本初の伝染病研究所を設立。大正3年(1914)に同研究所が東京大学に移管されると官職を離れ、独自でこの「北里研究所」を創立しました。

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    建造物

    神戸の山手に建てられたいわゆる異人館。創建当初は外国人の住居でしたが、明治29年(1896)から日本人増田周助氏の所有となりました。その後再び外国人の手に渡り、フランス人貿易商フェルナン・ブルムが住みました。
    主屋には二面にベランダが廻り、鎧戸付きの出入口や掃き出し窓が開きます。付属屋の室内は日本間で、窓の一部が和風になっていますが、全体は洋風にまとめられ、別館1階は使用人の住居にあてられました。主屋と付属屋を組み合わせた構成は、神戸西洋館の典型とされます。

    神戸山手西洋人住居

    建造物

    東京郊外の巣鴨に新築された私立宗教大学(現 大正大学)本館の正面に設けられた車寄部分を移築したもの。
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    宗教大学車寄

    常設展示

    展示室に足を一歩踏み入れると、真っ暗な室内で突然燈台レンズが点灯し、回りだす様は圧巻!
    三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台となった伊勢湾に浮かぶ「神島」の燈台で実際に使用されていた回転レンズです。また、明治村に移築されている燈台や、灯台建設に貢献をした「お雇い外国人」らの事績をまとめた資料の展示もご覧いただけます。

    常設展示 明治の燈台

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