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三つ編みに夜会巻きも!?明治時代に流行したヘアスタイルとは?

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ファッション 明治村ガイド

2021/08/22

三つ編みに夜会巻きも!?明治時代に流行したヘアスタイルとは?

溝呂木 真弓

記者

ライター溝呂木 真弓

流行りのボブスタイルにしたり、アッシュカラーにイメチェンしてみたり、現代の私たちはさまざまなヘアスタイルを自由に楽しんでいます。

では、文明開化が謳われ、西洋の文化が取り入れられた明治時代。人々の生活も次第に変化していった時代ですが、髪型はどうだったのでしょう?

和洋折衷は髪型にも

明治に入っても、洋装の文化が入ってきましたが、女性は着物に日本髪が主流でした。

しかし当時、整髪用の油で固めた日本髪は、1ヶ月ほどそのまま髪を洗わないことも普通のため「不衛生」で、さらに自分では結べないので髪結い代もかかるという欠点がありました。そこで誕生したのが西洋の髪型を参考にした「束髪」です。自分で結うことができて洗髪にも便利。洋服にも和服にも合うため流行しました。

村田孝子『近代女性美 ハイカラモダン・化粧・髪型』(ポーラ文化研究所,2003年)

束髪はいろいろな種類が考案されました。中でも、日本髪にはなかった三つ編みスタイルの「マガレイト」は、若い女性に人気。

他には、明治16年、鹿鳴館に集まる上流階級の夫人たちの間で結われるようになった「夜会巻」。この夜会巻は、束髪が流行するきっかけとなり、パーティーのヘアアレンジとして現代も続いています。

明治35年以降、前髪をだんだん前に膨らます「ひさし髪」とよばれる髪型が流行するようになります。明治37年に日露戦争が始まり、攻撃目標であった二百三高地(にひゃくさんこうち)を奪取したときは、髷を高く巻き上げた「ひさし髪」と、二百三高地が重なり「二百三高地髷」が流行りました。

青木英夫『洋髪の歴史』(雄山閣出版, 1971年)

まだまだ日本髪が共存していた明治時代。江戸時代から愛用されていたかんざしはこの時代も流行しましたが、そのデザインや材質に変化がみられました。特徴的なものとして、亀甲に金や真珠が彫り込まれているものが若い女性に支持されたり、ダイヤモンドを散りばめられたものが夜会用に使われるなど、高価なかんざしが流行しました。その変化は鹿鳴館に集う婦人たちから始まり、徐々に一般の女性にも広まりました。リボンのかんざしが現われたのもこの頃からです。

髪型と同じように髪飾りも和洋折衷だったことがわかりますね。

ザンギリ頭は文明開化の象徴

一方、男性の洋髪は急速に広まりました。

明治4年に断髪令が出され、多くの男性が「ちょんまげ」を切り落とした「ザンギリ頭」へ変化していきます。当時「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」と謳われ、断髪が加速していきます。

明治時代に活躍した俳優の川上音二郎。いつの時代も同じですが、人気役者の髪型を見てマネする人も多かったとか。

明治村の本郷喜之床で当時の理髪店を見よう

明治村では、東京・本郷から移築された理髪店「本郷喜之床」が保存されています。2階には明治時代の歌人石川啄木が住んでいたことから、等身大のパネルが設置されています。

店内の鏡や椅子は、同じ時代に新潟県の理髪店で使用されていたもの。

明治時代に使われたバリカンやブラシなどの道具を置き、当時の様子を再現しています。

手動で背もたれが倒れます。

メニュー(料金表)が掲示されていました。

店の正面をガラス張りにしているのは、当時の新しいスタイルでした。

今回は、明治時代に流行したヘアスタイルについてご紹介しました。いつの時代も理容美容は、流行を追い求めたり、その時代を象徴するものなんですね。

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Writer

溝呂木 真弓

記者

ライター溝呂木 真弓

会社員とライターのパラレルキャリアを実践しています。夫の転勤で札幌→横浜→兵庫(大阪)→現在は名古屋在住。さまざまな街に住んだ経験から、その土地の魅力を見つけて発信するのが得意です。

ライターとして、東海エリアのウェブマガジンや企業WEBサイトでグルメ・ライフスタイルを中心に、「想い」が伝わるよう執筆しています。趣味はカフェ巡り、花の写真を撮ること、気まぐれでスイーツも作ります。