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牛肉販売が始まる波に乗り、神戸で開業

大井牛肉店

神戸市中央区元町の相生橋東詰に建てられた牛肉屋兼牛鍋屋。牛肉は日本では禁忌とされてきましたが、幕末より、神戸をはじめとした各地の居留地に住む外国人や寄港する外国船に向けた供給が必要に。明治の新たな商売として、牛肉販売に注目した岸田伊之助(1849-1928)が、神戸の地で牛肉商を始めるために建てたのがこの建物でした。
建物は木造2階建てですが、胴蛇腹と軒蛇腹をめぐらせた漆喰塗りの外壁に目地を入れることで、まるで石造建築のように見せています。半円アーチの上げ下げ窓とコリント式の装飾柱、2階ベランダの洋風デザインは、当時の神戸に多く見られた外国商館を彷彿とさせます。

建設年 明治20年(1887)頃
村内所在地 1丁目2番地
旧所在地 神戸市中央区元町通
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成15年(2003)
解体年 昭和41年(1966)
移築年 昭和43年(1968)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    ポイント01|1階を店舗、2階を客室として利用

    1階は入ってすぐの土間が店舗部分で、帳場があり、奥には和室と土間の通路が続きます。帳場の脇に2階への階段がありますが、敷地面積の狭さのためか、かなりの急勾配になっています。2階は当初は洋間で広間と小部屋があり、床は板敷き。2階はすべて客室で、上客の会食に使われていました。

    ポイント02|外国商館が建ち並ぶ街にふさわしい外観

    神戸は横浜、長崎に次いで慶応3年(1867)に開港した港町です。外国船が寄港し、外国人居留地には多くの外国人住居が建設されたこともあり、外国人相手の商売が育っていきました。この牛肉店もそのひとつ。外国商館が建ち並ぶ元町の一角に、洋風の外観で造られました。

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    1、2階ともにコリント式の柱頭のある柱が並び、2階の柱には溝彫り(フルーティング)も施されています。

    ポイント03|洋風意匠の中に異彩を放つ玄関

    入口庇は「むくり破風(はふ)」と呼ばれる銅板葺き。庇の下に鶴が一羽飾られており、建物全体の意匠とは異質な和風造作になっています。その下には金の浮き文字看板を掲げます。入口は大幅に改造されていたため、古写真によって復原しました。

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    重要文化財 / 建造物

    西郷隆盛の弟、西郷従道が建てた住宅のうち、接客用に設けられた洋館。従道は陸海軍の大臣を歴任していたため、在日外交官の来客も多く、明治22年(1889)には明治天皇の行幸も仰ぎました。
    設計にはフランス人レスカスが関与していると伝えられ、建築金具や階段などをフランスから取り寄せているほか、2階には日本三景が描かれた陶板で飾った暖炉も設置されています。
    この建物は耐震性を高める工夫がなされています。屋根には軽い銅板が葺かれ、野地板が斜めに張られているほか、外壁は柱間に落とし込んだ本実下見板張りとなっています。

    西郷從道邸

    建造物

    明治の文豪である森鷗外と夏目漱石が、奇しくも相次いで借家した和風住宅。明治20年(1887)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたものの、空家のままだったこの家は、明治23年(1890)に森鷗外が借家し1年余りを過ごしました。鷗外は、ここに移り住む同年の1月、処女作小説『舞姫』を発表。この家では『文づかひ』等の小説を執筆し、文壇に入っていきました。
    明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が住み、漱石はここで『吾輩は猫である』を発表。文壇にその名を高めました。文中に描写された家の様子は、よくこの家の姿を写しています。
    玄関脇の張り出した和室(応接兼書斎)、台所から座敷への中廊下には、住宅の近代化の萌芽が見られます。

    森鷗外・夏目漱石住宅

    建造物

    明治43年(1910)に建てられた東京盲学校の車寄部分を移築したもの。校舎は木造2階建てのE字型で、中央に車寄、2階には大講堂がある間口62mの大建築で、外壁や両翼部の妻部は、木骨を見せるハーフティンバー様式でした。
    車寄の屋根の切妻ペディメントには文様が刻まれ、天井の板張りに格子組みが見られるなど、美しい意匠を備えています。

    東京盲学校車寄

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