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長崎居留地二十五番館

長崎居留地二十五番館

3丁目31番地

旧所在地 長崎県長崎市南山手町
建設年代 明治22年(1889)

長崎居留地二十五番館は、長崎に3ヶ所あった居留地-東山手・南山手・大浦-のうち南山手二十五番の建物である。この建物の最初の居住者はスコットランド出身のコルダー(Calder,John Fulton)である。彼は1867年来日し、最初長崎のボイド商会に、その後横浜の三菱製鉄所、神戸の大阪造船所を経て、三菱が長崎造船所を国から払い下げを受けた際、マネージャーとして請われて再び長崎の地を踏んだ。当初は造船所近くの会社が用意した住宅に住んだが、明治22年に造船所のある飽の浦を見下ろす高台の南山手に居を構えた。大阪造船所時代には日本初の「ドライドック」を建造、また長崎造船所では日本初の鋼鉄船で昭和37年まで高島炭鉱と長崎を結んでいた「夕顔丸」を建造するなど、明治期日本の造船業の発展に寄与したが、明治25年病に倒れ、45歳の生涯を長崎で終え、現在も長崎の坂本国際墓地に葬られている。

三方にベランダを廻らし、各室に暖炉を設けるなど典型的な居留地建築であるが、工法の上では古い点もあり、例えば、出入り口廻りの仕上げは化粧板を取り付けることなく、古い柱を削り出している。また、外壁は下地板の外に下見板を張り上げ、室内側は木摺下地に漆喰を塗り、防寒・防音に効果をあげている。その他、東南アジアのいわゆる植民地建築の影響を受け、軒が深くなっているため、屋根が冗長になるのを避け、本屋根からベランダの屋根を一段下げている。
本館完成から約20年後の明治43年(1910)、本館とは別の棟梁によって右奥に別館が増築された。和室も取り込んではいるが、外観は本館に合わせて洋風に仕上げられている。

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