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第四高等学校物理化学教室

第四高等学校物理化学教室

2丁目15番地

旧所在地 石川県金沢市仙石町
建設年代 明治23年(1890)

明治19年(1886)に「中学校令」が公布され、東京大学予備門が第一高等中学校に、大阪の大学分校が第三高等中学校に改組された。引き続き、翌年には仙台に第二、金沢に第四、熊本に第五高等中学校が設置され、明治27年(1894)の「高等学校令」により、いずれも高等学校に改称・改組された。
この物理化学教室は高等中学校時代の明治23年(1890)に創建され、以後、第四高等学校、金沢大学へと引き継がれてきた建物である。

近代化を推し進めようとする明治政府にとって自然科学教育は重要な課題で、明治5年(1872)公布された学制の「小学規則」の中にも窮理学(物理)、科学、博物、生理、の四科目があげられており、初等教育の段階から重きを置かれていた。中等・高等教育においても、実験まで含めた自然科学教育が実施され、ここに見るような物理化学教室が建設された。
もとはH型の大規模な建物であったが、明治村では中央部分だけを移築・保存している。木造桟瓦葺平家建であるが、階段教室の部分だけ一廻り大きくなっている。外壁は南京下見(なんきんしたみ)と呼ばれる洋風の張り方で、竪長の窓には下に上ゲ下ゲ窓、欄間(らんま)に回転窓が入れられている。又、軒裏には小さな換気口が数多くあけられ、実験室のドラフト・チャンバーとともに室内換気に効果をあげている。

棟札によれば、この建物の工事監督は文部省技師山口半六、設計者は同じく文部省技師の久留正道である。この二人はともに明治期の学校建築の功労者であるが、特に久留正道、西洋建築の理論や技術の研究を行い、「学校建築設計大要」等を著している。この階段教室も、そういった理論の裏付けのもとに、段の勾配、天井の高さ、窓の位置・大きさ等が設計されている。
この建物の一室は明治村の創立をはじめ、各方面に業績を残した故谷口吉郎氏と故土川元夫氏の顕彰室とし、室内に氏の遺品等を展示している。

谷口吉郎・土川元夫レリーフ(製作:菊池一雄)

明治村は、四高時代同級生であった東京工業大学教授で建築家の谷口吉郎と名古屋鉄道株式会社会長の土川元夫の発想と決意によって誕生した。


  • 谷口吉郎 1904-1979

  • 土川元夫 1903-1974

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