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西欧を思わせる端正で重厚な石造建築

札幌電話交換局

明治23年(1890)に東京-横浜間で始まった電話交換業務が北海道で行われるようになったのは、同33年(1900)のこと。これにあわせて、高価な交換機を火災から守るために地元産のを石材を用いて建てられました。内部の床や間仕切り壁、小屋組は木造です。1階と2階の窓を違った形式で作り、2階の窓下に花紋を連続させた胴蛇腹をまわす手法は、ルネッサンス以降の西欧でよく見られるものです。
明治36年(1903)の官制改正により、電話交換局は郵便電信局に併合され、規模の拡大にともなって明治43年(1910)に増築され、その後は札幌中央郵便局として使用されました。

建設年 明治31年(1898)
村内所在地 2丁目21番地
旧所在地 札幌市大通西
文化財種別 重要文化財
指定年 昭和43年(1968)
解体年 昭和37年(1962)
移築年 昭和40年(1965)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    ポイント01|ルネッサンス様式に則った立面構成

    1階の窓は葉飾りを刻んだ要石を持つ櫛型(くしがた)アーチ窓。2階はまぐさ式の窓に、小庇が付けられています。このような構成は、ルネッサンス様式を範とする西洋建築の語法に則ったものです。

    ポイント02|「軟石」と「硬石」

    花の文様が施された胴蛇腹等には「札幌軟石」、基礎や階段には「札幌硬石」と、目的に応じて石材が使い分けられています。

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    京都市の御幸町通に建てられた造り酒屋。中井家は、江戸時代の天明7年(1787)に河原町二条で商売を始めました。その後、享和3年(1803)に御幸町通に移転したものの、当時の建物は元治元年(1864)に長州藩と会津・薩摩両藩が衝突した「禁門の変」で焼失。後に再建されたものが、この建物です。
    木造2階建ての桟瓦葺き。京都独特の低い軒にゆるい勾配のむくり屋根をもち、漆喰塗りの壁には虫籠(むしこ)窓が開けられています。出入口は、酒屋格子をはめた無双(むそう)窓。間口が狭く奥行きの深い町屋建築で、中央に土間が通されています。土間の左側が座敷で住居部分、右側の作業場は小屋裏までの吹き抜けになっており、縦横の小屋組が目を引きます。

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