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江戸風情を残す宿場町で異彩を放った西洋医院
清水医院
長野県木曽郡大桑村須原の中山道沿いに建てられた医院。建設年は明らかになっていませんが、移築解体時には紙張り天井の下張りから明治36年(1903)11月1日付けの新聞が発見されたため、それ以降の年と考えられています。
大桑村須原は木曽路の中ほど、妻籠(つまご)と木曽福島の中間に位置し、木曽ヒノキの伐りだしを生業とした町です。この須原に生まれた清水半次郎(1868-1951)は、東京に出て医学を学び、地元の木曽谷に戻って医院を開業しました。
軒が漆喰で塗り籠められ伝統的な土蔵造であるが、アーチ形の入口や窓、隅柱など洋風意匠を組み合わせていて、宿場町須原にあって目を引いたことでしょう。
建設年 | 明治30年(1897)頃 |
村内所在地 | 2丁目17番地 |
旧所在地 | 長野県木曽郡大桑村須原 |
文化財種別 | 登録有形文化財 |
登録年 | 平成15年(2003) |
解体年 | 昭和47年(1972) |
移築年 | 昭和48年(1973) |
目次 - Index -
鑑賞ポイント
ポイント01|伝統的な構造に洋風の意匠が融け合う

隅に柱型を付け、漆喰塗りの壁面に目地を切って石造りに見せ、窓の上部はくし形アーチとするなど、洋風建築を意識した面構えになっています。旅篭(はたご)の建ち並ぶ街道沿いでひときわ目立つものでした。


1階は左端の入口から奥へと通り土間が続きます。土間に向かって手前は畳敷きの待合室、奥は通り土間に対して小窓が開く薬局。待合室から襖(ふすま)を隔てた先は診察室、その奥には病室があります。この建物では主に診察と投薬を行い、入院患者は建物背後に建つ和館で過ごしました。

屋根は木曽檜の杮葺き。厚さ3mm程度の板を用いて葺いています。

正面左脇には、腰高までをモルタル洗い出しで七宝(しっぽう)模様をあしらった袖壁が。
ポイント02|健康長寿を説く、さまざまな養生訓


待合室の襖(ふすま)には、健康に長生きするためのさまざまな養生訓が黒々と記されています。畳敷きの待合室の奥は、板張りの診療室となっています。
ポイント03|2階は不老長寿をモティーフとした座敷

階段を上がり、見返すと2幅の墨画が。2階には別世界が広がります。(2階は通常非公開)

2階は病室ではなく、家族の休憩用または地元民の応接室などに使われたようです。

2階座敷床の間の土壁には、金や胡粉(ごふん)で描かれた紅葉、床柱には長寿をあらわす縁起物の竹が用いられています。
さらに目を凝らすと、階段室との仕切りの襖には金で箔押ししたつがいの千鳥が雲母の波を渡っていたり、植物の芭蕉の繊維を使って織られた芭蕉布を用いた地袋の襖には鳳凰の模様が押されていたりと、見る者を飽きさせません。

アーチ形にした窓は建具を上げ下げや開きではなく、片引き窓にしているのも特徴的。
偉人ストーリー
島崎藤村『ある女の生涯』
この清水医院には、島崎藤村の姉・園子も入院していました。彼女をモデルにした藤村の小説『ある女の生涯』では、須原の蜂谷医院として、当時の様子が以下のように記されています。
「(略)蜂谷の医院は中央線の須原駅に近いところにあった。おげんの住慣れた町とは四里ほどの距離にあった。彼女が家を出る時の昂奮はその道のりを汽車で乗って来るまで続いていたし、この医院に着いてもまだ続いていた。しかし日頃信頼する医者の許に一夜を送って、桑畑(くわばたけ)に続いた病室の庭の見える雨戸の間から、朝靄(あさもや)の中に鶏の声を聞きつけた時は、彼女もホッとした。小山の家のある町に比べたら、いくらかでも彼女自身の生まれた村の方に近い静かな田舎に身を置き得たという心地もした。(略)」
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