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ハワイ移民集会所

ハワイ移民集会所

4丁目40番地

旧所在地 アメリカ・ハワイ州ヒロ市
建設年代 明治22年(1889)頃

ハワイ島の町ヒロのワイルック川のほとりに、日本人牧師岡部次郎氏によって日本人のために建てられた教会であった。その後教会の役目を終えると、周辺の日本人の集会所となり、さらにヒロの英字新聞社の倉庫として使われるに至った。その頃は屋根を取りはらわれ、二階が増築されて、姿がかなり変わっていた。  移築当初、原形をとどめていた一階部分だけを復原したが、その後の調べで古写真が発見されたため、屋根を創建時の姿にもどし、建物周囲の柵や入口の橋などを補った。

単純な長方形平面の教会で中は一室になっている。正面入口の上にペディメントを飾り、軒蛇腹にデンティルコース(櫛型装飾)をめぐらせ、正面妻壁の中央に三角形の屋根換気口を開けている。外壁は洋風下見板平張、屋根は波形鉄板葺である。

この建物にある地方色としては、床が高いことが挙げられる。未だ開発の進まない土地では、治水もあまり完全ではなかったであろう。川のほとりの建物では、出水のことや日頃の湿気の心配があったと考えられる。
この建物の傍らに掲げられている国旗はハワイ王国の国旗である。また、建物入口に取り付けられた太鼓橋は、ハワイ島のヒロ市が雨の多いところで、建物周辺は常にぬかるんでいるため、ぬかるみを歩かず室内に入ることができるように設けられたものである。建物左手の鐘は「ペペケオ耕地の鐘」といい、移民たちは毎朝4時半にこの鐘で起床し、朝6時の開始の鐘から昼の30分の休憩をはさみ夕方4時半の終了の鐘まで10時間の肉体労働に従事した辛い記憶の鐘である。建物右奥にある白い「×」印のものはさとうきびを運んだシュガートレインの「踏切」の標識である。

ハワイ移民は明治元年、新政府に無許可のまま在日ハワイ総領事ヴァン・リードによって送り出された「元年者」にはじまる。彼らは労働者不足の砂糖工業に就いたが、炎天下での長時間の作業のため苦労を重ねた。
明治4年日布修好条約締結、明治14年ハワイ王朝カラカウア王来日などさらに移民交渉が進められ、明治18年からは26回にわたり官約移民が送られた。しかし不遇のなか契約期間の3年を迎えても貯蓄ができず残留するものがほとんどであった。

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