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千早赤阪小学校講堂

千早赤阪小学校講堂

2丁目14番地

旧所在地 大阪府南河内郡千早赤阪府
建設年代 明治30年(1897)頃

一階が雨天体操場、二階が講堂となっているこの建物は、もとは大阪市北区大工町の堀川尋常小学校にあったが、昭和4年(1929)同校の校舎が新築されるに際し、南河内郡千早赤阪村の小学校に移築されたものである。  木造二階建桟瓦葺寄棟造で、建物の四周に幅1間(約1.8m)の吹放ち(ふきはなち)の廻廊をめぐらせている。二階の外壁は洋風下見坂で、出隅には柱型を付け、軒には蛇腹をまわしている。壁面に整然と並べたれた堅長の窓には欄間と上ゲ下ゲガラス戸が入れられているが、その廻りには額縁をまわすとともに、上にはペディメントを飾り、窓台下にはブラケットを付けた古典的な姿になっている。一方、下屋に隠れた一階の壁は漆喰塗真壁で柱を表面に見せ、腰には竪羽目板を張っている。四方に開けられた出入口は全て引き違いの大きなガラス戸になっていて、欄間にも引き違いガラス戸を入れている。

明治中頃から学校教育の中で体操が重視されはじめ、明治後期には体育教育が盛んに行われるようになる。体操の内容も亜鈴式からスウェーデン式へと変わり、広い体操場が求められるようになった。
なお、明治村への移築に際し、建物の高さが木造建築の法定限度を超えるため、建物四隅の壁体の中に鉄骨を埋め込んで、補強した。
一階の廻廊には、二間(3.6m)ごとに細い角柱が立てられ、柱間に浅いアーチ形の幕板を入れ、その中央にペンダント状の吊束を付けている。因みに、アーチが連続した廻廊をアーケードという。

奉安殿(奉安庫)

奉安殿は第二次世界大戦後姿を消した学校付随施設で、天皇皇后両陛下のご真影と呼ばれる写真、教育勅語を写した勅語謄本が収められていた。学校儀式の際には、学校長が奉安殿からご真影や勅語を運び出し、生徒はご真影への拝礼、教育勅語の拝聴が義務付けられていた。 この建物は2階の講堂に奉安殿が設けられていた。


  • 奉安殿 内部

  • 奉安殿 外観
おことわり
現在と創健時の建築法規が異なるため、千早赤阪小学校2階の公開は行っておりません。

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