明治風の衣装にお着替え!
時間まで村内を自由に回ることができます。
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明治時代風の矢絣・袴姿に着がえて、明治村を散策。
ハイカラ衣装館
明治時代風矢絣・袴姿に着がえて、明治村を満喫!
レンガ通りを散策しよう!
ハイカラ館を出てすぐの通りがレンガ通りです。 和洋折衷な建築物が立ち並ぶ目抜き通りをぶらりおさんぽ。
聖ヨハネ教会堂
朝ドラのロケ地にもなった赤レンガの教会
三重県尋常師範学校・蔵持小学校
小学校教師の養成を目的に設置された学校です。
呉服座周辺で散策
呉服座という劇場を中心に、銭湯や理髪店が立ち並ぶエリアをおさんぽ
ハイカラ衣装館へ衣装を返却
まだまだ元気だったら、着替えてからも明治村を満喫しよう!
徒歩約5分
《安田銀行会津支店(2丁目20番地)》
時間まで村内を自由に回ることができます。
建物出てすぐ
《2丁目》
明治村にある建物はすべて本物を移築してきたもの。
だからこそ、フォトスポットもたくさん!
自分だけのお気に入りスポットを探してみてください。
5分
《1丁目6番地》
2階にある礼拝堂は光の反射で開放感を出す工夫がされています。
椅子に座って、天井を見上げてみてください。
徒歩5分
《1丁目3番地》
小学校の小さい机と椅子がかわいい教室で、学校ごっこ。
村内バス約5分
《4丁目》
明治の歌舞伎や落語、政治演説の舞台にもなった、江戸時代以来の伝統建築の名残を留める芝居小屋です。
東京にあった理髪店。この建物の 2階には歌人・石川啄木が住んでいました。
作家の小泉八雲が、避暑のため夏を過ごしていた家。
前面に1間ほどの庇(ひさし)があり、内部片側に通り土間を通す典型的な町屋のつくりを活かして、明治村では一階が駄菓子屋になっています。
レトロなアイテムに心がはずみます。
呉服座
明治期の歌舞伎や落語、政治演説の舞台にも
呉服座
大阪府池田市西本町猪名川の川岸にあった芝居小屋。もとは池田市本町にあった明治7年創業の戎座を、明治25年(1892)に西本町へ移築したもので、このときに名称も「呉服座」と改められました。
構造は江戸時代から続く伝統建築の名残をとどめた、木造2階建ての杉皮葺き。舞台と客席部分には大きな切妻屋根を架け、その前に軒の高い下屋を降ろして入口にしています。正面の高い切妻には太鼓櫓(やぐら)を突き出し、入口下屋の軒下には、絵看板を掲げられる場所も。また正面の壁は黒漆喰塗りで、腰には和風の下見板が建て込まれています。出入口の扉は、裏面は和風の舞良戸(まいらど)ながら、表面には洋風の枠飾りなどがあしらわれており、目新しさを感じさせます。
半田東湯
表構えや番台に古風な銭湯のおもかげを見る
半田東湯
知多半島の港町に建てられた風呂屋。1階奥の浴室に置かれた浴槽は男湯と女湯がつながっていて、目隠しだけで仕切られています。銭湯は江戸時代以来、地域の社交場として欠かせない存在で、湯上がりの常連客などは、2階に上がって雑談に時を過ごしました。表構え、番台などに江戸時代の湯屋のおもかげをとどめています。
本郷喜之床
啄木が名作を生み、家族と暮らした場所
本郷喜之床
東京・文京区本郷にあった屋号を「喜之床」と称する理髪店で、明治後期から大正初期にかけての商家の形式をうかがい知れる建物。店の正面をガラス張りにしているのは当時の新しいスタイル。床屋は、ハイカラにはバーバーともいわれ、庶民の暮らしに欠かせない店屋でした。
この建物の2階二間を明治42年(1909)から間借りして家族と生活していたのが、歌人石川啄木です。処女歌集『一握の砂』はここで暮らしているときに出版されました。
小泉八雲避暑の家
八雲が夏に過ごした海辺の町家
小泉八雲避暑の家
小泉八雲(1850-1904)はもとの名をラフカディオ・ハーンと言い、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた。アイルランドで教育を受けた後、アメリカで新聞記者などを経て、明治23年(1890)に来日し、英語教師として松江中学を始め各地へ赴任しました。明治29年(1896)に日本に帰化し、同年東京帝国大学に招かれ教鞭をとるようになると、毎年夏を焼津で過ごすようになりました。この家は魚屋の山口乙吉の家で、1階に通り土間を備えた典型的な町家です。
徒歩約3分
《安田銀行会津支店(2丁目20番地)》
2丁目の市電京都七条駅から京都の市電にのって移動。
明治時代に創られた電車が動き出したときのワクワク感は時間旅行気分を盛り上げてくれます!