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乗車体験ができる国内最古の路面電車

京都市電 乗車体験

村内の2丁目・3丁目・4丁目にある3つの駅を結ぶ、路面電車の京都市電。
日本で初めて鉄道が開通したのは新橋‐横浜間ですが、続いて日本で初めて路面電車(市内電車)が開通したのは京都でした。明治村を走る京都市電は、開通当初の京都電気鉄道から京都市電へと移り変わっていく間の時代、明治45年に開通した北野線を走行していた車両(製造は明治43~44年)です。
乗務員の村内案内と共に景色を眺めながら、当時と同じくらいの速度で走行する京都市電。特徴のある警鐘の音や、終点駅でのポールの付け替え作業にも是非注目を。

場所 市電名古屋駅・京都七条駅・品川燈台駅(それぞれ4・2・3丁目)
予約 予約不要(現地にてご案内)
料金 【一回券】大人 500円・小人 300円
【SL・市電一日券】大人 800円・小人 500円
所要時間 1区間につき約3分
集合場所 市電名古屋駅・京都七条駅・品川燈台駅(それぞれ4・2・3丁目)
開始時間 季節によって異なります。※時刻表をご確認ください

目次 - Index -

    おすすめポイント

    終点駅でのトロリーポール付け替え作業

    路面電車の動力である電気は、線路の上の架線から取り込んでいます。現代ではパンタグラフと呼ばれる装置を使用していますが、それ以前はトロリーポールと呼ばれる長い棒をバネの力で押し付け、先端についた砲金製の滑車が架線に追従していました。構造上、高速走行には向いておらず、進行方向後ろ側に向ける必要もありました。
    このため明治村では3つある駅のうち、終点となり折り返す必要のある市電名古屋駅・品川燈台駅の2ヶ所ではトロリーポールを外し、逆向きに付け替える作業をしています。

    救助網

    開業当初はデッキに告知人(先走り)と呼ばれる少年を乗せていました。危険な区域や夜間には、電車の前を走り「あぶのおっせー」と声を出し人々に電車の通行を告知していました。
    しかし、この告知人が電車に轢かれるという痛ましい事故が多発したため、告知人は廃止され、電車の前を往来する人や障害物をすくい上げる為の救助網が考案されました。
    ※明治村では経路に高低差があるため、実際より若干高めの位置に設置しています。

    架線を支える木柱

    耐久性などの理由により、現在ではコンクリートが主流の電柱。明治村では当時と同じく木材を使用し、適宜交換を繰り返しています。走行中の窓の外を眺めるとそれぞれに時間を重ねた木柱や、交換したばかりの新しいものも見つけられるかもしれません。この経年変化も明治村ならではの魅力の一つです。

    村内に響く警鐘の音

    村内を散策していても市電が近づくと聞こえてくる警鐘の音。大きくカンカンと響くのは運転手が鳴らす警鐘、小さくチンチンと響くのが車掌が鳴らす確認の鐘の音です。路面電車らしく、歩行者の道路と線路が交差している京都七条駅周辺では特によく聞こえます。

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    建造物

    1階を雨天体操場、2階を講堂として使用していた校舎。当初は大阪市北区大工町の堀川尋常小学校にあったもので、同校の校舎が新築されるに際し、昭和4年(1929)に南河内郡の赤阪尋常小学校に移築されました。
    明治中頃から学校教育の中で体操が重視され始めると、広い体操場が求められるようになり、このような建物が各地に立てられました。
    外周にはアーチが連続する幅一間(約1.8m)の廊下をめぐらしていて、明治時代の洋風校舎としての趣を持っています。2階講堂正面に天皇陛下御真影や教育勅語を納めた奉安殿が設けられています(2階は非公開)。

    千早赤阪小学校講堂

    重要文化財 / 建造物

    明治11年(1878)に施行された「郡区町村編成法」により、県令(後の県知事)の任命する郡長が、郡内の行政を指揮監督することになり、各地に郡役所が置かれました。東山梨郡では、明治18年(1885)にこの建物が日下部村に落成。当時の山梨県令であった藤村紫朗は、地元に多くの洋風建築を建てさせたといいます。この役所もその一つでした。山梨県には県令の藤村紫朗の意向で、当時としてはハイカラな、いわゆる擬洋風建築がたくさん造られました。この建物は、その代表格といえるでしょう。
    建物は中央部分が2階建て(洋小屋)、左右翼部が平屋建て(和小屋)になっていて、小屋組の架構が複雑なのも特徴です。

    東山梨郡役所

    重要文化財 / 建造物

    名古屋市の中心部、堀川の近くにあった町家です。東松(とうまつ)家は明治20年(1887)代後半までは油屋を生業としており、その後は昭和のはじめまで堀川貯蓄銀行を営んでいました。
    塗屋造りという江戸時代から続く伝統工法を用いられているこの建物は、間口4間(約7.27m)、奥行き8間半(約15.4m)、切妻造りの屋根をのせた3階建て。間口が狭く奥行きの深い造りは、町家建築の典型そのものですが、創建以来、何度も増改築を繰り返しました。もともと江戸末期には平屋だった建物を、明治28年(1895)に後方へ曳いて移動させたうえ、2階の前半分を増築して現在の店構えに。さらに明治34年(1901)、3階より上の部分を増築したとされています。

    東松家住宅

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