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シンプルな構造が美しい英国渡来の鉄造建築

鉄道寮新橋工場・機械館

鉄道寮新橋工場は日本で初めて鉄道が走った新橋-横浜間の起点、新橋ステンショ(停車場)に機関車修復所として建てられました。日本の鉄道はあらゆる技術をイギリスから導入して開発され、機関車や線路はすべてイギリス製でした。この建物も柱、外壁、サッシ等、すべてイギリスから輸入し、イギリス人技術者の指導の下に建てられ、鉄造プレハブ建築として重要な建物であり、構造力学の理にかなったシンプルな美しさが魅力の建物です。内部には日本の近代化の過程で使われた多数の貴重な機械類が展示されています。

建設年 明治5年(1872)
村内所在地 4丁目44番地
旧所在地 東京都品川区大井町
文化財種別 登録有形文化財
登録年 平成16年(2004)
解体年 昭和42年(1967)
移築年 昭和43年(1968)

目次 - Index -

    鑑賞ポイント

    ポイント01|イギリスから学んだ鉄道技術

    イギリスからは、鋳鉄柱をはじめ外壁の鉄板、サッシ等、すべての材料を輸入しており、鋳鉄柱には「HAMILTON WINDSOR IRONWORKS LIMITED LIVERPOOL」の銘が残っています。

    ポイント02|近代鋳造技術の手本

    機関車修復所は創建当初2棟でしたが、明治15年頃に7棟に拡張されました。この建物には、その時に鋳造された柱が転用されており、「明治十五年東京鉄道局鋳造」の銘が見られ、明治10年代には早くも舶来品を模して国産化が始められたことを物語っています。

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    建造物

    六郷川鉄橋は日本初の複線用鉄橋です。明治5年(1872)に日本で鉄道が開業した当時、新橋-横浜間に架かる22の橋は全て木橋でした。開通後、複線化の計画により鉄橋への架け替えが進められました。
    お雇い外人の英人土木技師ボイルの設計で、全長は約500m、錬鉄製トラス桁6連からなる本橋と避溢(ひつい)橋で構成されていました。明治45年に東海道線の複々線化に際してこの鉄橋は外され、単線用に改造されて御殿場線の酒匂川に架けられた後、昭和40年に役目を終えました。明治村へは本橋部のトラス1連が移築されています。

    六郷川鉄橋

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    名古屋城内に置かれた陸軍名古屋鎮台の附属病院。「衛戍」とは陸軍の駐屯のことを言います。明治村には、管理棟の半分と病棟1棟、それらをつなぐ渡り廊下が移築されています。建物は木造平屋建ての桟瓦葺きで、周囲に吹き放ちのベランダをめぐらせています。非常に開放的で明るく、清潔感にあふれた印象です。
    病院はもともとは6棟の建物が中庭を囲んで配される分棟式の配置をとっていました。これは洋式大病院の典型的な形式で、日本赤十字社中央病院(4丁目35番地)にも踏襲されています。

    名古屋衛戍病院

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    歩兵第六聯隊は、名古屋に置かれていた東京鎮台第三分営という軍隊が、明治6年(1873)に名古屋鎮台に昇格した時に新しく編成された部隊でした。名古屋城大手門の右手にある二之丸跡に兵営が設置され、営庭を取り囲むように兵舎が配置されました。明治村へ移築されたのは第十中隊で、兵舎は約7割程度に切り縮められました。
    外観は漆喰壁に上げ下げ窓が並び、素朴な印象を与えます。しかし、構造はとても頑丈で、外側の柱はすべて土台から軒まで達する太い通し柱とし、壁の下地になる木摺(きずり)を斜めに打ち、瓦を張って白漆喰で仕上げている。

    歩兵第六聯隊兵舎

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